残暑お見舞い申し上げます。

 

さて、先月よりバケーションにつき

森にこもりセルフヒーリングに集中していました。

 

 

同行スタッフと一緒に、終始ゆったりとした時間の中、

プライベートセッションで行なっている「セルフヒーリング」をシェアしたり

地元の新鮮なお野菜でていねいに食事を作っていただき

その後は温泉でリラックス・・・としっかりエネルギ補充をしてきました。

 

最近、どんな環境でも可能な「セルフヒーリング」について

ご質問を受けることが多くなりました。

今回は、そのメソッドについて少しだけお伝えしてみようと思います。

 

集中力も感覚を磨くのも必須のアーティストさまたちに大変好評なコンテンツです。

この記事では、ヒーリングの前にご自身でできる

基礎的な言葉を書いてあります。

少し長いですが、ご興味がございまいしたら

ぜひお時間をとってお読みいただけると嬉しく思います。

 

 

 

 

 

まず、質問です。

 

あなたの日常、いま、この時この瞬間

何を感じていますか?

いきなりそう問われて即答できる人は

多くないのではないでしょうか。

 


わたしたちは使い勝手の良い便利な世の中に生きながら

同じように、さまざま「なにか」も

同時に貰っているとはなかなか気づけないものです。

 

 

それは、自分自身が満ちている

潤っていることとは違う「なにか」です。

 

日々の見るもの触れるもの人のかかわりで受け取る言葉や感情

毎日の食事や家事や本、映像や音楽

そんなありとあらゆる暮らしのなかで

動いている無意識な活動も

その「なにか」と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

そうしながらも、わたしたちは

五感を刺激していることをすっかり忘れてしまう

 

 

意識せずに話したり

食べたり飲んだり触れていたり

それを終えてはまた求め・・・

あまりにもあたり前の感覚になっているのかもしれません。

 

 

絶えず刺激を受けている

だから

《時間がない》

《いちいち感じられない》

それは本当でしょうか?

 

 

一方、《余白の時間をうまく使えない》

ともよくお聞きします。

 

これは、真っ白な自由な時間ができたとしても

その空きスペースに不足を感じて

たちまち不安や恐れが生まれてしまうという心理現象です。

 

余白を埋めることで安心する行為を

心理用語で「代償行為」と言います。

 

 

「代償行為」とは字のごとくなにか別の行いによって

本当にしたいことから逃避している状態のこと。

 


手持ち無沙汰で、ついスマホを触り、パソコンやゲームに目を向け

テレビや音楽、漫画やSNSへ意識を向けたり

心が動かされないものに関心を寄せる「フリ」をして見せたり

 

無意識につまみ食いをしてしまうことなど・・・

ありませんか?

 

 

空腹感を感じないのに、「何かを食す」

という不自然な行為の奥には

自覚しないまま放置していた

深い傷や不安とつながっているかもしれない・・

 

そう感じたらならば

ご自身のその感覚を

じっくり味わってみるのはいかがでしょう。

 


永い歴史の中で、わたしたち人間は

安全を保つために、「飢餓状態」を避けるよう

命をかけてきたと言っても過言ではありません。

 

ですから、現代人にとって「何もない状態」(だと感じること)が

太古の飢餓の記憶にリンクし、

意味もなく不安に駆られて「代償行為」をしてまうのです。

 

 

本当に感じていたいこと

ただ、ありのままに在る、

という感覚がわからなくなってしまっているからです。

 

 

プライベートセッションの軸になっているメソッドは

この「ただ感じる」という

ニュートラルな意識を大切にしています。

 

 

 

 

思い出してみてください。

 

あなたは、いま見る、いま読む

それを聴く、これをする、

それに触れている・・・・

 

確かにそうなのだけれど

「感じる」ことができない時

あなたの五感は、お休みしていると思いますか?

 

いいえ。

きっと違います。

 

 

本当は、あなたの生きている時間とは

絶えず5つの感覚・五官を

フル活動して過ごしているはずです。

 

 

いま、見て、感じているあなたがいる。

いま、何かを聴いて、心地よく思うあなたがいる。

いま、それに触れて、満足しているあなたがいる。

 

いま、これを口にしてホッとしたり

あるいは、虚しくなったり

悲しくなったり

声に出したくなったりするあなたがいる。

 


もしくは、いない。

 

感じない。

 

 

感じないことも感じるあなたが

いま、ここにいる。

 

 

こんな当たり前のことを観察したり

思考できるのもすべて

あなたの外側との接触であるはずです。

 

 

どこからともなくやってきた目の前のその情報

音も、ヴィジュアルも、感触も

すべてはあなた以外の外側からです。

 

 

壮大な音楽、夢のような映像美

大好きなあのスイーツも

愛しいあの人の匂いも

味わい深いお料理やワインも

大好きなペットの毛並みも

窓から入る乾いた風も

 


手のひらにしっとり馴染む化粧水も

ときめく香水も

懐かしい石鹸の匂いも

アロマキャンドルのゆらぎや熱もあなた以外のものからの五感への刺激です。

 

 

重要なのはここです。

 

刻一刻と移りゆく「瞬間を含むあなた」

である、ということ。

 

つまり

その時、その瞬間の気分であなたが変化してもごく自然です。

 


ましてや、気持ちがアップダウンするのは

あなたがそれらの刺激に対して

純粋な反射をしているだけにすぎません。

 

 

あちらこちらに意識がワープし

どこまでも自由な感覚でいられるゆらぎの領域。

 

 

ゆらぐ、とは不安定ではなく流れている状態です。

 

わたしのメソッドで言えば

すべてが流れている「循環」のこと。

 

 

情報の多い現代で自分に正直に生きているということは


多種多様な世界とのかかわりをいかに柔軟に楽しめるか?

に過ぎないのかもしれません。

 

 

 

想像してみてください。

 

「すべての外部情報」を途絶えたらどうなるでしょう?

 

あなた以外の世界の刺激無数の見るもの触れるもの


他人というすべてのひとの言葉や声を一切、閉ざしてしまったら

いったい何が残ると思いますか?

 

 

イメージです。

いま、あなた以外のすべてを閉ざし

すべての刺激を感じなくしてしまったら

あなたに何が残るでしょうか

 

 

それは睡眠状態でしょうか。

 

何もせず、ただ、そこに存在する

何も見えないし聞こえない

声もなく動きもなく、渇きさえない。

 

それは瞑想でしょうか?

 

もし、それが普段通りに起きて

同じような状態になってみたらいかがでしょう。

 

真っ白で退屈ですか?

身体がどこかムズムズして

落ち着きがなくなりますか?

 

手持ち無沙汰すぎて呼吸が速くなりますか?

怖いくらいの余白を感じるでしょうか?


動けなるなるような孤独感でしょうか?

胸のあたりに暗いかたまりがあるような

そんな感覚になるでしょうか?

 

その瞬間、気づくのです。

「何もない」と。

 

 

それら、あなたから生まれた刺激は本来あるものではありません。

静かに観察していれば

やがて深い深い安堵がやってくるはずです。

 

「大丈夫」と。

 

ゆるむ、とは「ここ」にゆだねることだ、と

確信するでしょう。

 


五感の役割をすこし休めたとき

そこに残るのは、あなたひとりです。

 


生まれてきた自分自身であり

ピュアなままの本来のあなたです。

 


ニュートラルなあなた、という存在。

いま、この瞬間、ここにいるだけの

呼吸し、ゆだね、生きているだけのあなた。

 

 

何もいらない、持たない

ジャッジをつけない


ピュアなまま循環し続ける

あなたというニュートラルな存在。

 

 

 

これが、あらゆる自然のはじまりでした。

 

それは決して「怖いこと」でも「不安」でも

「真っ白で落ち着かない」でも「暗い」でも「孤独」でもなく


きっと、本質的な安らぎや

くつろぎであることがわかるでしょう。

 

 

やってみてください。

ただ、そこに座り、または寝転び

ゆっくり呼吸をし、自分の声を聴く

 

 

目を閉じて耳を澄まし

下腹部に意識をして

深く深く息を吐く。

 


すぐに、あなたの静かなところから溢れてくる

あなた自身のエネルギーであることが

理解できるかと思います。

 

 

身体の真ん中が温かくなり

呼吸もスムーズになってきたら

そのままご自身の皮膚の内部を感じてみてください。

 


あなたが感じる身体の部位が見つかるでしょう。

 

 

額の中心に通り道が出来たように感じる方もいます。

胸の奥にドアが開く感覚があるという方もいます。

 

それぞれ、ぼんやりと感じるままに

浮かんでくる思考やイメージをそのままに流していると

《ニュートラルな自分》を観察することができます。

 

そこにある、本質的な安らぎ

くつろぎとはなんであるか

静かに満ちつづけるエネルギー循環とは

自分自身なのだ、と実感するでしょう。

 

わたしたちが生きているということは

自分以外のものや情報、外部とのかかわりであり

それに対する刺激への反射・反応の連続です。

 

けれど、それだけでは

自分自身が置き去りにされて消耗してしまうかもしれない。

 

磨り減ってしまった状態が

いまの《ニュートラルな自分》であるならば

それに気づくことで何かが変わるでしょう。

 

 

むしろ、そんな外部に翻弄されながら

本当の自分を忘れたいからこそ

絶えず《刺激を必要》とし続けているのだとしたら

そんなにも忘れたい「あなた」とは一体、何だろう?

と考えてみるタイミングかもしれません。

 

 

本当に必要とされているのは

その刺激まみれになってがんじがらめな自分を

あなた自身が、あたたかく見守る必要があるのかもしれません。

 


わたしのメソッドでは難しいことは言いません。

シンプルに、目を閉じて

ただ、いまのあなたを感じ

あなた自身と共に在る時間を好きになっていただくだけ。

 


それは、予想をはるかに超えた

ゆたかで潤いのある「浄化」を自分自身に感じるでしょう。

 

 

ここまでお読みになったあなたは

この感覚を知っているのだと思います。

 

わたしは、この叡智に気づけてとても良かった。

 

 

だから、これからも

必要とされる方へお伝えして行こうと思います。

 

 

 

 

 

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