この時期。

 

まるで神さまがタイミングを見ていて

はい、どうぞ、と準備していたかのように

光が軽やかに変わりあのキラキラがやってくる。

 

チリやホコリにさえぎられて高くなった日差しは

光が柔らかくディフューズされ

シャドーの部分にも白いグラデーションが回り始める。

 

よく言われる春の日差しの正体は

この緯度の変化で穏やかに見える光の滲みなのだ。

 

緯度が高いほど日差しは斜めになる。

 

ちょうどこのころに旅行へ行くと

写真的にとても見栄えが良く

繊細な影が撮れる状態になる。

 

早朝、水分をため込んだ天空が

なまり色の空に覆われている時間帯に

75度くらいの斜光を狙うことがある。

 

雲の切れ間から差し込めば完璧、そんなイメージだ。

きっと誰しも見たことのある光の絵。

そう、ヨーロッパの宗教画みたいだ。

 

西洋の絵画や写真がどうして神々しく見えるかと言えば、

総ては光のなせる業だということ。

 

温度差が激しい5月。

朝の8時を過ぎても真っ暗な

あの闇の西ヨーロッパの貴重な光。

 

太陽は遠くのほうからうやうやしく顔を出し

朝が来たと謳歌する風でもなく、

いきなり雲の切れ間から強い光線を放つ午後。

 

当然ながら東洋の島国、

日本の冬の光のような濃厚さは感じらない。

 

乾燥した空気に舞う細かい粒子が古い建築物を照らし

石畳に柔らかく反射する

あの、フォトジェニックないい雰囲気は

ヴィジュアルに敏感な人にはたまらない描写だ。

 

 

「ヨーロッパのロケは嫌になるよね。

俺たちが日本でしている苦労はなんだったんだろうって。

こっちでは適当に回せば空気だって絵になる」

 

そうつぶやいていたのは

偶然、パリの老舗カフェにいたKと言う日本の映画監督だった。

 

思わず

「わたし、粒子フェチだから空気を見ているの好きです」

と話すと、監督はしゃがれた声でわたしに言った。

 

「へえ、イマドキ女の人で写真やってんの?

いいね、狂ってるね。気に入った。」

 

彼曰く、日本の光はあまり映像的ではなく

微粒子の問題だろうと話していて

隣席のわたしにグラスワインをおごってくれたのだった。

 

「映像でも写真でもなんでもいいけどさ

萎えていたらダメだよね。

いつもピンと張ってないとね」

 

 

 

カンヌ帰りに休暇をしていたというあの時の監督と

一体なにを話したのかすっかり忘れてしまった。

 

なぜ、あの時、著名な彼のポートレイトを

撮ろうとしなかったのか未だに謎だけれど

同じ日の写真だけは数枚残っている。

 

ハッセルブラッドで撮るには最高の日だった。

 

もう、それだけでいいよね、と思うこの時期はやはり

ちょっとだけネジが狂うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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