50750004p

 

音を遮断したかった。

 

だからわたしは、アンプが壊れても直しに出すこともなく

音楽のない日々を選んだ。

 

やがて、わたしの耳は身体の音で埋まっていった。

 

瞼を閉じるとき、その動きを聴くことができたり

吐息をもらすその前のくちびるの裏の濡れている意味を考えたりした。

 

なくしてみると、マランツのアンプは

どんな音色も繊細に奏でてくれる魔法の箱のようだった。

 

魔法は、聴きたくない音も上等に奏でることができる。

 

けれど、時々、その完璧さがわたしを消してしまうようでもあった。

 

古いレコードもそろそろ捨てたほうがいいかもしれない。

 

そんなことを想いながら、雨の流れに耳をすませていた。

 

 

日曜日の雨の降る午後、

もしここに音があるのなら

タック&パティの12弦ギターの高音が

よく似合うだろうと想像してみる。

 

白いナプキンが開く乾いた綿のシワのふくらみに

ゆっくりと人差し指をそわせる時、

ガラス瓶に活けたマーガレットが揺れ

 

隣で座るあの人の喉に白ワインの通り過ぎる音が

心地よく耳元に残る。

グラスを置くその僅かな振動で

光の玉のように甘いシャルドネの香りが立ち上がる。

 

「サンラが聴きたいな」

 

言いながら、あの人は、アンプの前の

レコード棚を覗きにゆく。

 

無造作に並んでいるレコードの

古い一枚を取り出したその左手は、

指輪をしたまま、休日の午後の静寂が耐えられなくなったように

ターンテーブルに触れた。

 

「壊れてたんだね」

マイルスのジャケットに目を落とし残念そうに言う。

 

古いレコードは彼から貰ったものが多かった。

レコードの針を替えるのが得意なその指先を見るたびに

わたしの動悸がどきんと反響する。

 

だから、部屋を大音量で満たして

爆発しそうな焦燥を隠してきた。

 

取り残されたのはわたしの身体から生まれた音たちだった。

 

音は、すべての臓器と肉からはみ出て不協和音となり

部屋中にあふれ、やがて重力に逆らえず足元に流れ堕ちた。

 

「なんでかな」

 

そう、壊れちゃったのよ、

わたしは言うべき言葉がかたちにならずに

また溢れてしまうのを予期しながら、

 

ジャケットのなかで誰かを強く睨みつけている

マイルスと眼があった。

 

手を伸ばしグラスを手にすると、

ゴクゴクと喉を鳴らして

窓に着いた無数の雨の雫に視線をそらす。

 

雫の流れは不均等に、ゆるやかな丸みをもって

涙のように落ちてゆく。

 

ガラスに止まって少しづつ膨らんでゆく透明な粒に

わたしが小さく映りこんでいるのが見える。

 

雫は、まるで呼吸をしているかのように膨張したと思うと

ふう、と余韻を残してポロポロと堕ちてゆく。

 

泣いているみたいに、重たい粒が流れてゆく。

 

 

切れ長の目がわたしを見て言葉を放つ。

 

「オレが壊したのかな」

 

 

ターンテーブルの針が、降り続ける雨の音を拾い集めて

今にも回りだしそうなほど耐えられない無音の部屋で、

 

くちびるが動くときの濡れる音が聴こえた。

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です