NIKON D850  Model : 心月 mituski

 

 

「やりたいことをやって自由気ままに生きる」

 

理想の自由人という名の共同幻想。

少し前、流行った言葉だった。

 

響きはとてもよいけれど

そこに行き着くまでのダークサイドは

わたしも含め世の中はオープンにしていない。

 

その実、世界中のサクセスストーリーの大半は

「闇」の部分は表現されていないことがほとんどだ。

それは、なぜか。

 

世の中の多くの方は「ポジティブだけ」

を求めがちであり

「闇」の部分など見たくないし聞きたくない。

できればそこへ関与していたくない。

 

けれどそれは、事象の「闇」の部分を

受け止めていないだけであって

片方だけしか見ない、見ようとしない人間関係や

思考・感情もまた必ず破城してゆくものだ。

 

この感覚をわたしなりに言葉にするならば、

すべてにおいて

ポジティブだけを受け入れるのは、「好き」であり

ネガティブの闇も受け入れるのが、「愛」

なのではないかと思う。

 

 

例えば、自分のことが

「好きだけど愛せていない」という人は

肉親・友人・仕事関係者・パートナーを含め

全員対象で 誰かのことを「愛してる」

というはなく、「好き」なのだ。

 

光だけは美しくて闇は受け入れたくない、イコール好き

光も闇も両方受け入れられる、イコール愛

という定義に沿った

わたし個人の思想にすぎないけれど。

 

結局、「理想的な自由人」

になれない人は

自分のことが「好きなだけの人」であり

人のネガティブを受け入れられず人のことを裁いている。

 

都合のいいことだけに標準を合わせているので

人のネガティブに触れたときに、

「あなたは変わった方がいい」「それは違う」

と判断しているのだ。

 

それは、「自分の闇」を受け入れてない

またはネガティブを排除している反応的なもの。

どんな自分のことでも認められないと

この世界は、他人が鏡になって現れるのだ。

 

もし、他人のことを

裁こうとしてしまっている自分に気がついた時は

それは、その人自身が自分を日頃から裁いているから。

 

つまるところ

「本質・真理」とは

ポジティブとネガティブの両方を抱きしめた人が

感じられる領域であり

本当の幸せな人というのは、

自己を愛し許している人のことなのだ。

 

自分のことを愛している人は、

自分の都合の悪い事にも、

ありがとうが言え、何ごとも直視することができる。

自分のことが「好きなだけ」の人は、

自分の都合が悪い事が起きると

その対象を責めたり距離を置いて逃げてしまう。

 

 

日頃から、ネガティブを嫌い、向き合うのを避け

ふわふわとしたポジティブ思考だけに偏ってる人は

こういう傾向になっているのではないか。

 

夢だけの世界に「偏りすぎている」人達は

わたしの知る限りたくさんいらっしゃる。

 

やりたいことだけをしたい、楽に生きよう

好きに生きよう、ゆるりといこう

そういう方向に無自覚なまま進み

 

夢だけは大きく

実際にはその場その場に流されていると

どこかのタイミングで

「実はこの先がすごく不安」という本音にぶち当たっている。

 

 

「なんだ、結局、好きに生きてなどいないじゃない」

とわたしは思ってしまう。

 

ショービジネスにおいて

美しく幸せな自由人というのは、

「メンタル」と「自立したビジネス」

「光」と「闇」の両方を

リアルに向き合った人なのだろう。

 

美しく幸せな理想の自由人、というのは

そこに至るまでたくさんの「光」と「闇」の両方を

経験してきているからこそ

自立心も精神力も豊かで柔軟にバランスがとれるのだ。

 

そうやって何度も「統合」してきているのだから。

 

 

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