ハイヒールの憂鬱 01
写真論, 白黒写実, 随想

ハイヒールの憂鬱 01

200808023349p

 

 

 

 

 

「模範と自己のあいだにオリジナリティが生まれる」

 

学生の頃、口癖のようにつぶやいてたのは

悪友のRだった。

 

その頃、彼は映画を撮りたくて

いつも被写体探しにうずうずしているような

わかりやすい単純青年に見えた。

 

わたしと言えばボーイフレンドの

ポルシェの助手席を陣取り

 

夜のドライブとクラブ遊びが生活の大半を占めるという

今となっては恥ずかしいロングソバージュで

シャネルバッグをひらひらさせているだけの

無意味な時間を過ごしていた。

 

 

ミニスカートとハイヒールが制服となりつつある狂的な時代の流れに

思いきり流されていたひとりだった。

 

流行のメイクがパンダのように崩れて朝帰りするのが

ルーティン化した日々。

湿度と微熱。

若さだけの虚無。

 

 

笑ってしまうくらい斬新なコスチュームを着て

レースクイーンのバイト代を貯めたお金で海外旅行をするという

不良オンナのお決まりのような道筋をたどり

 

ある時、なにもかも馬鹿らしくなって

ふらりとニューヨークへ行ったことがはじまりだった。

 

刺激的な日々はさらに濃厚になり

すでにマンハッタンに移り住んでいた悪友Rの映画製作に携わるうちに

わたしは、写真に出逢った。

 

正確に言えば、再び、カメラに触れた。

 

 

わたしは、6歳頃から父親のカメラで遊んでいながら

高校を卒業するまでほとんど撮影などしていなかったのだった。

 

そんな不良パンダであったわたしは、

なぜかマンハッタンの片隅で出逢った

ライカM3のカメラを手にした時から

寝ても覚めても写真のことばかり考えるようになるのだが、

 

若き不良パンダの頃は、

写真自体にはまったく興味はなく

撮ったものをどうしたいか、

これをどうするのか?など 想像すらしていなかった。

 

単純にライカがカッコよかった。

写る絵がイケていた。

 

ただそれだけの理由でシャッターを切っていた。

 

 

その頃、変化のただなかにあった。

 

映画で作品創りをするRや、

ダンサーを目指す同じくパンダ族のオンナ友達、

 

世界的プロサーファーでもあった小説家の元彼や

イラストレーターを夢見てロンドン留学した同級生や

 

東京芸大へストレートで受かった天才の先輩や

子供の頃からバレエしか考えていなかったという

 

パンダ族ではない乙女な友人に触発されながらも

 

わたしは「なにかになりたい」だけの

空っぽなパンダでしかないことを

自覚しながら生きていたのだろうと想う。

 

きらきらとした目で夢を話す友人たちに囲まれながら

自分だけが取り残されたような

冷たい海底にいる淋しさを抱えていた。

 

 

バブルが弾けた20代前半。

周りが足早にパンダを卒業してゆく最中、

わたしだけが独り

なにかになろうとするエネルギーが完全に欠けていた。

 

そんなタイミングでわたしの手にあったのが

マンハッタンで出逢ったカメラだった。

 

 

カメラさえあれば写真はだれにでも撮れる。

 

そのことは幼い頃に肌で感じて知っていた。

これは間違いではなかった。

 

友人たちのようにダンサーになろうと思ったら

基礎レッスンからモダンバレエまで

幅広い身体の表現力と体力を必要とする。

 

もしくは、映画監督になろうとしたら、

ストーリーを構成するタフな想像力が必須だろうし

他人にまともに観れるものを作れるようになるまで

気が遠くなる道のりを歩かなくてはならないだろう。

 

小説家になるためには、どんなものを観ても感動する

繊細な感性と、それらを順序よく展開する

クレバーな才能がないとダメだということは充分わかっていた。

 

 

写真にはそんな面倒なステップは必要ない・・・

 

とその頃のわたしは思っていた。

 

そうしてわたしは、

恐ろしい写真の罠にまんまとハマってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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