-現代神話とラストボヘミアン-  というエッセイに

個人的に溺愛してる写真家ライアン・マッギンレーの

ストーリーを書いたことがあった。

 

かいつまんで言えば、現代に生きるアーティストの願望説。

 

ライフスタイルとその方向性や活動への願いについて、

わたしたちはもっと欲しいものは欲しい、と言うことが許されてもいい。

さらに、写真表現の官能との瞬間を日常的に手に入れることができる人を

目指すべきなんじゃないだろうか、ということだ。

 

これはどんな表現者にとってもこの願望はあり、

今、その過度期であることは読者の方が一番感じていることだろうと思う。

 

わたしが明らかにそれを感じたのは、4年前の春。

個展をするとパトカーまで出没しなくてはならないほど

カリスマフォトグラファーの写真家、マッギンレー。

 

彼の来日を記念したインスタレーションを見たわたしは

久しぶりにこころをかき乱され動揺していた。

 

彼のような若い作家は、

作品に絶え間ない流れを反映するヴィジュアルをつくりだして

それまで当たり前のように思われていた

写真の「記録性」を徹底的に疑い、

「視覚言語」としていとも簡単に時代をはねのけ

ひとり高笑いしているように見えたのだ。

  

その微笑みは今もトップクラスの現代アートのとして

世代を超えて広まっている

 

「視覚言語」とはつまり、

虚像と実在の境界線をなくしてゆくことだった。

  

表現と写真の、もっと言えば現実と写真の関係は

現代においては見事に引き裂かれ

それを逆手にとった彼の作品は興味深い。

  

奇妙に現実的で巧みな構成によるマッギンレーのユートピア的イメージは

「リアルな」写真の特徴を全て持っている。

 

イメージがピースフルな予感を想起させた一方で、

反社会性を最大限に利用している点もわたしお好みだ。

 

ライフスタイルそのものが撮影となっている彼のアプローチは

わたしからすると天国のように感じて

憧れのカリスマ性を持っていることも大きい。

 

バスやキャンピングカーを何台も用意し

モデルとスタッフを連れシューティングしながら世界中旅をする。

 

その資金は全て国レベルの現代美術館や

ヨーロッパのパトロン向けというのだから

世界中のアーティストの夢を食べているような生活だ。

 

それらほとんどの写真がヌードでありながら

どこにも色香を感じさせない彼の現代神話を見ていると

写真がどのようにつくられているか、

そして、人はどのように写真に意味を与えていくか

ということを「思考させるようなイメージ」を創り出し

鑑賞者を引き込むような作家性を感じてしまう。

 

わたしはそこが好きなのかもしれない

と今でも想う。

 

来日インタビューで彼は、「写真とは何か」という問題に対し、

紙として物質的に存在しない、

そして決められた形のない「デジタルイメージ」という

 

2000年代以降に現れた存在をどうやって「物質性」テーマと

結びつけてゆくのかが現代アーティストの課題だ、と語っていた。

  

「物質性」へのテーマは、現代の映像環境において

写真家、そして作家の役割、さらに

個々のイメージの意味に疑問を投じる写真的実験にとって

最高の土台となった。

  

特に日本は、他の写真のムーブメントの多くと異なった認識で

世界中に影響を与え続けている。

 

ハッシュタグの時代に急進的なステーメントを抱き、

オリジナルの「視覚言語」を発信する

そんな概念の多くは、

アーティストはもちろん全てのビジネスでも変わらず

差し迫って重要なことなのは間違いないのだろう。

 

 

 

 

 

 

Model : 心月 MITSUKI

 

 

あたたかくなると、

わたしのマッギンレー熱が湧いてくる。

官能と瞬間を味わうため、どこへ旅立とうかな。

 

 

作品集のお知らせ

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です