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「今夜、牡蠣でも食べに来ない?」

 

 

Yからのメールがあった。

 

 

まともな食事を4日もとらず、

ひどい気分で目覚めたわたしは

 

とにかく外に出て人に逢い、美味しい時間で現実を忘れ

本来の感覚を目覚めさせる単純な刺激を欲していた。

 

そういえば、まだYの家に行ったことはなかった。

 

 

彼とは半年ほど前にあるライブ・プロジェクトを組んだ
メンバーのひとりだった。

 

映像の制作会社をやっている、3つ年下の
グラムロック好きで、快楽的なことに敏感で
ときどき一緒に食事に行き、

 

映画を見たあとカフェで3時間も喋ることのできる
夏でも革ジャンとブーツが欠かせない気の許せる人だ。

 

 

 

誰かに今は何を作っているの?と聞かれると
決まって「イデア」と言ってみたり、

 

動画とスチールの違いを聞かれると
「布か紙の違い」と答えることも

すでに知っているくらいわたしと親しくしていた。

 

 

Yからのメールを眺めながらもう一度メールを返す。

 

「牡蠣、どうしたの?」

 

レモンを5滴絞って飲み干すように食べる
2月のフランスの生牡蠣を思い出して

ブルターニュの海の匂いに記憶が引き戻された。

 

 

返事はすぐに来た。

 

「友達の実家が広島で、母親が送って来たらしい。

んで、出張でいないから食べちゃってってさ」

 

 

スケジュールが真っ白な日曜日。

 

これ以上惨めな気分にならないために

わたしは髪でも切りに行こうかと思っていたがやめて、

Yの牡蠣に乗り換えることにした。

 

 

たとえブルターニュの牡蠣でなくても

初めて行く男の部屋でも、
無理をして誰かと逢って気分を変えたかった。

 

 

もう5日も籠りきりで誰とも逢っていない。

 

 

 

先週、某女性写真家が、新作の写真集を発表したことが原因だった。

 

 

その本を手に取ったわたしは、

言いようのない絶望感に嘆き打ちのめされた。

 

 

そこには、現在わたしが撮りためている

ドキュメンタリー写真と酷似したカットが平然と並んでいたのだ。

 

さらにテーマや編集方法にいたるまで

わたしの企画とほとんど同じ内容で綴じられていた。

 

 

決定的なのは、本のタイトルやテキストだ。

 

 

去年わたしが描いて編集へ提出した

A4用紙200枚の絵コンテとほぼ同一の内容だったのだ。

 

 

 

「パクられましたね。あのラフ画」

知人から連絡があった時、すでにその女性写真家の新作は

アマゾンで上位になっていた。

 

 

こんなことしなくても名の通った人だった。

 

インスピレーションで偶発的に撮影するタイプの絵作りを得意とし、

コンセプトに沿って狙いを定める能力にたけている写真家だと思う。

 

 

けれど、わたしの手元にある写真集に綴られているのは

本当に彼女の頭の中なのか定かではなく、

 

企画段階のラフ画を見て制作したのかどうか

今すぐ確かめたかった。

 

 

でも、もう遅かった。

 

シャターを押せば誰でも作家になれる時代に、今さら盗用も何もない。

それが、わたしのいる世界だ。

 

ここ1年以上、ドキュメンタリーとポートレイトを撮りつづけ

やっと現像所からすべてのフィルムが帰ってきたところで

これから本番のプリント作業に取り掛かるタイミングでの発覚だった。

 

 

 

わたしの描いたラフ案を目にしてすぐに撮影に取り掛かり

製本、販売まで終わらせている彼女の勝ちだった。

 

スピードの差を思い知った。

 

 

わたしは何もかもに裏切られた気分だった。

 

今、彼女の写真集を見て絶望しているのは

世界でわたしたったひとりだろう。

 

大切にしていた企画が、わたしではないひとへ渡り、カタチになった。

 

そのことが、全ての世界を否定された気がして

しばらく涙も出ずに放心していた。

 

 

ドキュメント写真は、再来週締め切りの

ドイツの国際コンペティションへ応募する予定だった。

 

企画が誰かの手に渡り、誰かの目に触れ、

アイデアを使われたのであれば

それはわたしの責任でしかなく

 

不特定の人の目に触れるような雑な扱いをしたという

紛れもない不条理な事実だけが残った。

 

 

 

自己嫌悪で気が狂いそうだった。

 

 

もう一度、別のドキュメントを撮り直すことは考えられず

そうしているうちにコンペションの期限は過ぎ

何もかも考えるのが嫌になり、倒れるようにベッドで過ごした。

 

4日間ぐしゃぐしゃに泣いていたらお腹が空いて仕方なく起きた。

そこへYのメールが来たのだった。
経験上、こんな風に救いようがない気分の時

わたしは、どうすればこれ以上惨めにならずにすむのか、

少しはわかるようになっていた。

 

 

年齢を重ねると自分の救い方がうまくなる。

 

そのことに静かに感動しながら、

あまりの空腹に耐えられなくなって

朝からパスタを茹でてペペロンチーノを作って食べた。

 

珈琲を2杯飲み、リンツのチョコレートを一粒食べたあと

もう一度眠り、ソファで目覚めると遅い夕方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Yの家へ行く前に、わたしは絵コンテを真似られた写真集を持ってベランダに出た。

 

闇の向こうにアッシュグレイの月が遠くに見える。
冷たくて雪が降りそうな湿った空に向かって

12階のマンションのベランダから本を投げた。

 

 

 

ちぎった紙切れみたいに小さく堕ちてゆくそれを見た後、

Yの部屋へ向かうためにシャワーを浴びて着替え、

お土産のロゼの泡を一本抱えて部屋を出た。

 

 

 

はじめて入るリビングの窓からはクリアな冬の夜空が見えた。

 

さっきベランダから本を捨てた時に見た月が細く浮かんでいる。

 

Yは、よう、といつも通り曖昧に言葉を交わしたあと

キッチンで大量の牡蠣の殻を開けている。

 

 

ときどき、痛てっと舌打ちしているのがリビングからも聞こえる。

部屋には古いディスコグラフィの曲がかかっている。

 

 

 

わたしは、さっきまで死んだような気分だったことが

彼にバレないかどうかドキドキしていた。

 

 

 

禿げかけた赤のマニキュアと伸びすぎてしまった爪を気にしてごまかしていると

緊張する間もなく大皿が現れた。

 

コバルトブルーの大皿にクラッシュアイスがひかれ

その上に殻を開けたばかりの牡蠣が艶やかに並ぶ。

 

 

氷の白と食器の濃いブルーに黄色のクシ切りレモンが添えられた、

そっけないほどに美しい一皿だった。

 

 

 

何かに似てるよね、わたしはそう言って牡蠣の身をじっと見た。

 

グラスが運ばれ、ロゼの泡をYがついでくれると

甘いピンクの液体の向こうに窓の外が見える構図になった。

 

 

フレームインフレームと呼ばれるゆがんだ2重構図。

 

一枚の写真の中に、2つの世界が存在する。

 

 

 

ロゼの泡を口に近づけると

ほのかにフランボワーズの香りがして

固まっていたわたしの感覚が呼び覚まされ、一瞬でほころぶ。

 

 

 

Yは艶やかな牡蠣にレモンを絞ったあと、

フォークで器用に身を取り出し

チュルっとひと飲みして旨いと笑った。

 

 

 

間を開けずもうひとつ牡蠣の身をすくい出しながら

わたしの口元へそれを運ぶ。

 

わたしが遠慮がちに口を開けると

滑らかな牡蠣の身の感触が舌の上に流れ込んでくる。

 

 

海で作った生クリームような身が、

ほとんど噛まずに喉を滑り堕ちてゆく。

 

 

 

やわらかいアワビを食べたときみたいな

鼻に残る磯の匂いとロゼの華やかさが

わたしの知っている味の記憶の中でも

最上位に位置するほど美味しく感じた一口だった。

 

 

 

「すごい。すごく美味しい」

 

わたしはバカみたいにすごいを繰り返した。

 

部屋にはジャミロクアイの「Consic Garl」が流れていた。

 

「彼女は宇宙的」

 

Yは何でもないようにそう言って、

また牡蠣の身をフォークで取り出して

わたしの口に放り投げようとする。

 

そうやって何度もわたしの口に入れようとするので、

思わずやめてよ、と吹き出して笑って目が合った後

ふっと頭に手が置かれた。

 

身構えて肩が上がる。

 

Yはそのまま、ポンポンとわたしの頭を撫でるように軽く叩いて

手を下ろした。

 

 

 

「忘れちゃえよ」

 

彼は知っていたのだ。

 

「あんな奴さ、食べて忘れなって」

 

 

わたしは力が抜けてソファに崩れ落ちそうになった。

 

大粒の涙が前触れもなくこぼれた。

 

 

許すことができたなら、いますぐ忘れることができるなら

わたしはもう苦しむことはないとわかっているのに

こんなにも悔しくて涙が出るなんて思いもしなかった。

 

なんでだろう。

なぜ、わたしじゃないのだろう。

 

なぜもっと早く写真を世に出さなかったのだろう。

 

 

一年間撮り続け、通った全ての場所と人の顔が走り去ってゆきながら

声にならない嗚咽に消えていった。

 

さっき食べた牡蠣の感動がマーブル模様のようにわたしの身体をめぐってゆく。

 

 

 

とめどなく流れてくる涙で口の中がしょっぱくて

涙と鼻水でグチャグチャになった顔でYの方を見る。

 

 

悔しいことがあったのだから、酷い顔くらいしてもいいよね。

 

 

 

演技なのか、Yは、わたしに指をさして腹を押さえながら

ガハハと大笑いをしている。

 

それを見ていたらなんだかバカらしくなってきて

とめどもなく出ていた涙と鼻水がようやくおさまった。

 

 

 

「撮ってるもんは違うんだから、お前も発表しろよ。

勝つぞ。あんな下手っぴ、抜いてやれよ。」

 

 

 

引き下がらずに出してしまえとYは言う。

その通りかも知れない。

 

勝負を投げているのはわたしだ。

 

「コンペションは世界中にいくらでもあるじゃん」

 

わたしの胸のうちをことごとく早回りして言葉にされてしまう。

 

来月と再来月、続けて大きなコンペションがあることを想い出した。

確か、フランスの世界大会だった。

 

 

食べ終り積み上げられた牡蠣の殻を見ながらYが言った。

 

「海のモノも陸のモノもこの世に全く同じなんてないじゃん。

岩みたいな牡蠣だって、同じ形も色も柄も、

どれひとつないんだよね。

 

だからそこから生まれたモノも全部違って当然なわけ。

似ているって思ってるのは自分だけかもしれないって疑ったほうがいい。」

 

 

 

気が抜けてぼんやりとしているわたしにグラスが差し出された。

 

 

バラ色の細かな泡がグラスの底から吐息のようにふわりと立ち上り、

表面まで上がりきって小さく弾けて消える。

 

 

 

グラスの向こうに見える窓に四角くフレーミングされた夜の向こうに

猫の目みたいな月が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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