嵐の音に聞き惚れるようにじっと動けない狼たち

N0.1

49990006p

 

 

 

 

ひとりひとりの質疑応答が始まりわたしの番になった。

 

 

何を言おうかとためらっていると、

両手を広げたジェスチャーをし、わたしを指差して言った。

 

 

「日本人女性の写真家である、ということ自体、

あなたは選ばれた人間なんです」

 

会場の人が一斉にわたしに振り向いていた。

 

 

その顔は穏やかに微笑み、わずかながら賞賛が混じっていた。

 

わたしは、どうしていいのかわからず、

質問の前に正直な今の気持ちを語った。

 

 

わたしは今、あなたの素晴らしい講義を背伸びをして受けていること

ここに集まったご先輩方と顔を合わせて

本当は逃げ出したくなるくらい怖かったこと。

 

 

通訳の女性がパー氏に耳元で話しかけている。

 

 

わたしは続けた。

 

 

「マーティンさん、わたしは、写真を続けるかどうかさえ迷っています。

スランプという時期だと思うのですが、

あなたのような一流の方にもそういう時期はあるのでしょうか?

 

そして、スランプに陥ったときはどうしますか?

マーティン・パーさん、こんな質問ですみません。

わたしが一番訊きたいことです」

 

 

一気に話すと、パー氏はさらににこやかになって

会場に響く声で言った。

 

 

「スランプのない創作者はいません。

たとえ眠れない夜があっても、我々は写真をやめることができない、

いわば、不具の人間なのです。

 

それはクレイジーで、異端で生き辛い世界かも知れません。

 

でも、考えてみてください。

 

あなたの意志や主観はイージーなものではないはずです。

それが許されないから、あなたは悩み苦しむ。

 

どんな環境にあっても、あらゆるものから学び、

奪い取り、状況判断をしながら正確に導き出すのが創造者です。

 

 

私もある日突然、写真が撮れなくなるという経験はあります。

 

けれどそれは、自分が高みへ昇るための知らせだったと思います。

 

ここに一枚の写真があります。

スランプの最中に撮ったものです。

 

 

この時、私はアリゾナの先住民と出会う事が出来ました。

それは私が10年以上も憧れていたシュチエーションでした。

 

広大な砂丘の中で全てが幻のような出来事でしたが、

私は今でも、あの眠れずに苦しんだ日々があったからこそ

抜けられたトンネルだと考えています。

 

 

こう言うと、人は頭が可笑しな奴だと冷たく笑いますが

それでいいのです。

 

アートと理解されるものではなく、否定されるものです。

 

世間から否定されなければ、

それはただの自己満足でしかありません。

 

 

表現者は、ソファーで寝転びながら

アイデアが浮かぶものではないでしょう。

 

きっと、ここにいらっしゃる皆さんは必死で考え、吸収し、

痛みや血を流しながら作品に打ち込んできたのです。

 

私にはそれがわかります」

 

 

 

密室の空気が変わった。

 

パー氏の言葉の変化に敏感に反応している参加者と彼のとの間には、

何の隔たりがなく、ここにいる人たちだけにわかる信号を送っている。

 

 

狼たちは、謎めいた嵐の音に聞き惚れるようにじっと動かなかった。

 

「あなたは、日本というこのどうしようもなく混沌とした

小さな怪物の国に生まれました。

 

中国の精神とアメリカの戦略で作られた世界からはみだして

独自の思想を持って生き抜いた日本人です。

 

それも女性です。

 

さらに、写真という感覚表現の頂点に立っています。

 

それだけでクレイジーなのです。もう十分です。

 

後は、あなたがそれに気がつくだけです。

 

我々と一緒にクレイジーに生きましょう。

あなたの神話を作りましょう」

 

 

 

彼の言葉ひとつひとつに引力があった。

 

同時通訳の声はほとんど意味をなさず、

彼の声帯が発したリアルな言葉だけが密室の隅々まで染み入っていった。

 

 

わたしはこの時、驚きに満ちた顔をしていたのだと思う。

 

パー氏は一呼吸おいて冗談まで言ってくれた。

 

「スランプになったときどうするか?

・・単刀直入な質問ですね、いいですね。とても」

 

 

彼の回答はシンプルだった。

 

「ええ、そうです。そういう時は内なる声を聞くのです。

 

きっとそれは、新しいカメラを買いなさいと言っていませんか?

あなたの成長を促しているタイミングです。

私にはわかります。

 

もし買ったばかりなら、レンズでもいいですよ。

でも、世界で一番いいものしかダメです。

 

我々はクレイジーなのですから」

 

 

 

狼の群れが初めて声を出して笑った瞬間だった。

 

過度の緊張で石のように固まっていたわたしを

パー氏のいたずらっ子のような表情が解放していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DSCF2605_SLKp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です