感覚を提供する、ということ
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感覚を提供する、ということ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南仏の朝食から学んだこと

 

 

 

 

仕事に集中したい時、ホテルにこもることがある。

 

猫の世話をアシスタントに任せて、

ひたすら制作に打ち込む。

 

 

わたしがやることは主に若いアーティストの企画。

 

彼らを客観的に見て

足りないリソースを手伝ったり、原稿を書いたりする。

 

日常の細々したことから離れ、ホテル滞在を続けていると

本調子とは言えない気分になることも多い。

 

 

こんな時、昔お世話になった

南フランスのオーベルジュを思い出す。

 

あれは仕事にひと段落したある夏、

気晴らしにスナップをしに訪れた場所だった。

 

 

多くのアーティストが定宿にしていると聞いていたけれど、

予想をはるかに超えて居心地が良く

忘れられないほどの感動をいただいたのだった。

 

なかでも、オーベルジュの朝食が素晴らしかった。

 

 

マダムが焼くパンと搾りたてのオレンジジュース

裏の畑で採れた夏野菜のカラフルなサラダが

テーブルいっぱいに並んだテラス席に座った時、

 

 

ほんの気晴らしの旅行のつもりでここへ来た意味がわかった。

 

わたしは、わたしが思うよりずっと消耗していたのだ。

 

日本にいるときは無自覚だった。

 

 

 

1ヶ月滞在している間、マダムの創るシンプルで丁寧な食事に癒され、

南フランスの広大な自然を謳歌し、

わたしはいつも以上に撮影をした。

 

 

ある日、食材の買い出しに行くから一緒にどう?と

マダムに誘われ隣村へ行った時のこと。

 

その村の小さなカメラ屋さんを覗くと

幻のライカM3が1台、アンティークのガラスケースに鎮座していた。

 

これまで何度探しても手に入らなかったM3。

 

 

一瞬で衝動買いをしたわたしは、36枚組のフィルム10本を

連日狂ったように撮影した。

 

 

南フランスの小さな村で撮った一枚が、

フランスの「心象風景コンペション」で準優勝をいただけた。

 

 

作品をたまたま見たパリのアトリエオーナーから

一緒に創作しないかと声をかけていただき、

その年の暮れ、わたしは何もかもを捨ててパリへ向かった。

 

 

フランスの田舎のオーベルジュからしたら、

買い物のついでに寄ったカメラ屋の話。

 

 

けれど、わたしにとっては一生を変える出来事だ。

 

今でも、オーベルジュのマダムとは仲良くさせていただいている。

来年あたり、美味しい朝食を頂きに彼女の顔を見たいと思っている。

 

 

それは、わたしがバージョンアップする時の

お知らせのような居場所だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃はまだ、エアビーという概念がなく

オーベルジュとか、B&Bというのは海外の話だと思っていたけれど

先日、日本でも「民泊新法」が可決された。

 

2018年1月からの施行を目指すらしい。

 

日本でも、海外と同じようにAirbnb が普及しすぎて

ホテルの経営が大変になるかもしれない・・・という話もきく。

 

同時に、プロフェッショナルなものが

どんどん目の前で壊されてゆく時代

 

その時間の象徴だとも思う。

人の本質的な欲求に根ざすというスタイルを

「民泊」という選択肢が満たすのは、とても面白い動きだし

わたしがお世話になったオーベルジュのマダムの存在が

どれだけ価値のあるものなのか肌でわかっているわたしは、

日本のあり方も大賛成している。

 

この国独自の素晴らしさを提供できることにすごく興味がある。

 

自分のことのようにワクワクする。

 

 

 

感覚を提供する時代。

 

 

オーベルジュや民宿、カフェや飲食店、メディアや雑誌

ワークショップ、講座、アーティスト表現

 

新しい時代、どんなビジネスにも言えることは

「こんな感じがあれば・・・・」

 

で終わらないところだと思う。

やろうと思えば、誰でもできてしまう。

 

今まで受け手にしかなれなかったひとが、

すぐに創作者になれ、価値を提供できるのだ。

 

 

それは、絶対的なプロだから選ばれるわけではなく

資格があるから選ばれるわけでもない。

 

 

プロフェッショナルであってもなくても

ひとが「これがほしい」

「こんなことがしたい」

「その感覚を手に入れたいんです」

 

と思う場所を作ったひとが、選ばれる。

 

わたしのセッションでも

そんな小さな「これ」「それ」を

お伝えしてゆきたいと考えている。

 

 

それぞれの才能を研ぎ澄まし

 

なんどもなんども

日々試作しては輝かせてゆく。

 

だからこそ

そこだけが放つ、小さな光を求めるひとに

どストライクな「ちょうどいい」を

提供できるのだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

創作者としての感覚をもつにはどうしたらいい?

 

 

 

「自分だったらどんな感覚がほしいかな?」

と想像してみるのが得意になると楽しい

といつも話している。

 

イメージというのはいつだって曖昧で

ふわふわしていて掴みどころがないとも言えるけれど

それを、可視化する手立てを考えることは

誰だってできると思う。

 

 

写真にするのか、イラストか、文章か音声か

それともセッションのような対個人へのリソースか。

 

そんなふうに、イメージする

その場を感じるということは

「わたしだったらどんな感覚がほしい?」

 

もしくは

「わたしたちが伝えたいひとは、どんなことを求めてる?」

ピン、と感じたものから推測してゆく。

 

 

そうして、実際に「こういう感覚がほしい」

を現実にするときに

ただ、最近ああいう映像が流行ってるよね

 

海外で儲けてるひとがいるからやろうかな、では

当たり前だが、厳しい。

 

絶対的に忘れてはいけないもの、それは

 

 

自分のなかにある

「創らずにはいられない情熱」があるか。

 

 

もしかしたら、それだけなのかもしれない。

 

 

だから、わたしは、思いついたことすべてやってみる。

 

誰もがアーティスト(創作者)になれる時代。

 

あなたなら、どんな感覚を届けたいだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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