光の舞う8月。

 

森へ差し込むキラキラとした光。

その恩恵を十分に味わって草むらに寝転ぶ猫たち。

 

野生のバラが、ふっくらとご機嫌そうに顔を上げて

桃色の花弁を陽に当てている。

 

 

北国ではこの時期、

太陽の位置が少しづつ低くなる。

 

本州の入射角とは明らかに違う光のアングルに

輪郭のシャープさが消え、

すべてがやさしく折り重なってゆく。

 

 

森にこもり、明け方の空を眺めていると

微妙な光加減にとても敏感になっている

そんな感覚の変化がうれしい。

 

朝起きて、とびきり好みの空色だったりすると

どうしてこの日に撮影がないんだろう、と

本気で残念がって

こんな日は、なんだか損をした気分になる。

 

あーもったいない・・・

この朝霧の色

グレーが20%グラデショーンの空

透明で淡いピンク色の光線・・・

 

もったいない、もったいない、もったいない。

 

この境地になってしまったらもうおしまいだ

何も手につかないままベッドから飛び出し

闇雲に空を仰いで心でつぶやきながら

シャッターを切っている。

 

いますぐ雨が降ってもいいから

今度のロケまでに

この空をとっておいてください神様お願い。

 

 

 

 

やがて来る夕暮れの強烈な日差しは残酷で

さえぎるものは何もないはずだから全部見せなさい、

と言わんばかりに

どこからでも降りそそいでくる。

 

 

強い光が斜めに入ると、写真が劇的にカッコよくなる

という人がいるけれど、

わたしはなにもない空を撮る。

 

夏の終わりの淡い空が

群青色のグラデーションを帯びて

はるか彼方、

見たことのない宙の色彩を連想させる色が生まれる。

 

 

朝が開けると

光は穏やかで、ラフで

時々だらしがなく

 

チリやホコリにさえぎられて高くなった日差しは

光が柔らかくディフューズされ、

シャドーの部分にも白いグラデーションが回りはじめる。

 

腰掛けの上で抜け側になった

カーディガンみたいに感じる時もあるけれど

そのとぼけた感じもわたしは好きだ。

 

季節の巡りはわたしたちに無言で

世の中の全てを教えてくれる。

 

 

太陽は遠くのほうからうやうやしく顔を出し

朝が来たと謳歌する風でもなく、

いきなり雲の切れ間から強い光線を放つ午後。

 

乾燥した空気に舞う細かい粒子が

樹々の葉を照らし

柔らかく反射する。

 

寒いけれど、冬の光のような濃厚さは感じらない。

 

よく言われる空気感の正体は

この緯度の変化で穏やかに見える光の滲みだ。

 

水分をため込んだ天空が

なまり色の空に覆われている時間帯は

ヨーロッパの宗教画を想わせる。

 

 

 

その土地、特有の影というものもある。

 

北国を代表とする白味を帯びた光線は

影が短く、ドラマティックにならない代わりに

木も草も花も子供も大人ものんびり横並びに座って

ただただ微笑んでいるような平和な印象を受ける。

 

そうした見る側を深刻にさせない光の質というものが確かにある。

 

土の匂いがする野原へ歩き出すと

草いきれとともに、

地上にこもったまま輝いている

小さな雨粒に感動してしまうほどだ。

 

夏の、ザッとシャワーを散りばめたようなスコール。

 

一雨降ってチリが落ちると、

万物の輪郭がくっきりと浮き上がり

みずみずしい鮮やかさが目にしみて本当に涙が出てしまう。

 

 

 

心からきれいだなとしみじみ感じる事は

最近、めっきり少なくなってきている。

 

心から綺麗だなとしみじみ思うものを見ると

自然に涙が出てくることすら

忘れてしまっていているわたしを

 

この土地の微粒子が

キラキラと手招きしてくれている。

 

「ここにあるよ。」

 

 

 

 

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