猫的満足  Vol.1
猫思想, 随想

猫的満足 Vol.1

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あたし、ブリ。

 

 

みなさん、お元気してはる?

 

 

なんだかもう、雨降ったり暑くなったり、

虫さんがいっぱい出てきたりして目まぐるしいわあ。

 

 

でも、ウチ、猫やから

いつでもいーっぱい遊んで

お腹ポンポコぽんで

 

身体もあったかくて

Amazonで買ってもらった

新しいベッドはふっかふかで

満たされまくって

毎日ニマニマしてるんよ。

 

 

 

あ。羨ましい?

 

ぷぷぷ。

 

 

人間っていろんなことせなあかんから大変なあ。

 

 

ブリみたいにぐーたら寝て食べて

遊んでたらいいのになあ。

 

 

そうそう、この前覚えたんやけど

 

ブリみたいなぽわんぽわ〜んして気持ちって

 

「満足」とか

「満たされること」っていう意味やん?

 

 

これな

 

ウチ猫やから言うねんけど

人間が考える

「満足した生活」ちゅーのは

2つの考え方があると思わへん?

 

 

 

ブリ、

今日はこの話しようと思うねん。

 

みんな、暇だったらついてきてー。

 

 

 

ブリな、姐さんのとこにきてから10年

ずーーっといろんなオトコ関係人間を見てきて

 

満足って「どっち」なんやろか?

って考えるようになったねん。

 

 

「どっち」って考えたことある?

 

 

満足って意味、2つあってな

 

ひとつはな、

待ってることやねん。

 

 

受け身やねんな。

 

そやから、じーっと動かへん。

 

「いいことあらへんかなー」が口癖やねん。

 

 

んで、もういっこはな

自分からガンガン獲物を捕りに行くみたいに

ちーっともじっととしていれへん先にあるねん。

 

 

この違いを

もうちょっと説明するわな。

 

 

そもそも

満足とか、つい顔がニマニマすることって

 

「キモチイイ」ってことやんな。

 

その自分にとってのオイシイこと、

キモチイイことを

 

欲しい・チョーダイ・もっともっと、って

思うだけで動かへんのが受け身タイプは

池のなかの鯉みたいに

口をぽかんと開けてパクパクしてはってん。

 

 

エサは池の外からもらうねんな。

 

好きなことややりたいことも

自分から動かへん。

 

これ、いいわー想っても、

もしかしたら痛い目にあうかもしれへんから

 

見なかったことにしよう、って

なかったことにしてしまうのもこのタイプやねん。

 

 

損をしたくないし

 

悲しい思いはしないほうがいいし

失恋するよりもしない方が良いし

失敗するよりもしないほうがいい

 

 

っちゅーのは

じーっと動かへんくて、

 

安全で平和なものをチョーダイして生きてるねん。

 

 

まあ、それで平穏な生活ができて

不幸じゃなければいいんかもしれへんな。

 

 

 

で、

もういっこの

 

狩りが止まらへんタイプっちゅーのは

 

たとえば、身体がうずうずするからここで踊りたいとか

 

なんやしらんけど、

今すぐ焼肉ビビンバがたらふく食べたいとか

 

いっぱい仕事したから

気晴らしに南の島まで飛んで

そこでかわい子ちゃんを見つけて遊び呆けて

エネルギーチャージするとか

 

見ててオモロイくらい、

自分のしたいことをしてはるって感じやねん。

 

 

こういうの、本能っていうらしいけど

 

人間って、こういうのをぜーんぶひっくるめて

シアワセっいうみたいやねんなあ。

 

 

 

 

 

 

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平穏と本能

 

 

まあな、こういう2つの要素が

誰にでもあるんやろうなって

猫が考えてもわかるねん。

 

 

でな

この2つのタイプの

 

どこかすっごく違ってるかっていうとな

 

たとえば、チョーダイな池の鯉さんは

「満たされたいって」いうよりもむしろ

 

痛いことや苦しいことから

逃げようとしてるんよね。

 

 

踊って遊んでしたい放題なタイプは

進んで楽しいことを見つけて

転んでも失敗しても

それを手探りでも取ろうとしてはるねん。

 

 

 

景色のいいところに行きたいとか、

 

南の島のコテージで

恋人とラブラブに過ごしたいとかっちゅーのは

それやん。

 

 

これを猫的にいうとな、

チョーダイ鯉さんは、「シアワセ=満足」やねん。

 

でもって、狩りの遊び人は、

「キモチイイ=満足」なんよ。

 

 

大事なんは、キモチイイことって

動物や人間の感覚に深——く根ざした現象やねん。

 

 

感覚的やからみんなにも共通のものなん。

 

 

ああ、

そういえばなあ

「シアワセ」ってな、究極的にいうと

 

「痛いことからの逃亡」ってことやねんて

ウチのマキ姐さんが言うてはった。

 

 

ふむふむ。

 

あれ?もしかして

 

これってあやふやでわかりづらいって思わはる?

 

 

じゃあ

キモチイイこととと、シアワセが

どういう風に違っているか

 

ブリ、もうちょっとしゃべらせてもらうわな。

 

 

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まずな。

 

シアワセってな、すごい個人的なもんやねんけど、

キモチイイってことは共通なもの、っちゅうこと。

 

 

 

キモチイイって身体の感覚からくるものが多いから

動物にも人間にも共通のものやけど

シアワセ、っていうのはこういう

みんなに共通の感じ方があらへん。

 

 

人間ってここが変なんよ。

 

 

猫には信じられへんことが「シアワセ」になったりするやん?

 

ごはんがちょっとしか食べられんかったり

お布団がぺっらぺらで凍えてたり

治らへん病気になってても

 

天国とか、神さまっていうのを信じてて

わたし、いつか天国にいくねん!

 

 

って思い込んでいるひとは

そんな状況でもシアワセな気持ちでいられるねんなあ。

 

 

ブリからすると、

めっちゃ可哀想なように見えても

 

本人さんは案外自分の小さなシアワセにしがみついていて

それで満たされてるってこともあるしな。

 

 

モノ、と関わるのかと思うと

そうでもないねん。

 

 

だから、昔のひとは

今みたいなモノがなくて

不便だったからシアワセじゃなかった

ってこともちゃうねん。

 

 

 

たとえばな

電気もテレビもなくて

ろうそくをつけて本を読んでいても

 

字が読めて、物語の世界を感じられることが

シアワセだったやろうし

 

新幹線や車がなくても

大切な人に書いた手紙が1ヶ月経たないと

その人に届かなくても

 

自分が満たされてないなんて

少しも思わなかったんちゃうやろか。

 

 

 

本当のアーティストが

大きなアトリエがなくても

描きたい絵があれば

どこでも絵筆が進むみたいに、な。

 

 

ここで言いたいのは、

 

それは「自分だけがわかるシアワセ」やねんな。

 

 

だから、みんなとは全く関係がないことやねん。

 

 

目の前の情景を「いいなあ」「きれいやなあ」って

思われへん教養のないひとが

森の中に隠居して暮らして絵を描いても

本を読んでも

どこにもシアワセなんか見つかりっこないねん。

 

 

 

まあ、そんな不憫なひとは

どこいっても満たされないと思うわ。

 

 

 

ぷぷぷ。

 

 

あ、、、、

 

 

なんや長くなりそうやから

 

残りは次回にするわなー。

 

つづきは

 

「キモチイイの正体」。

 

 

 

じゃあ、みなさん

 

 

 

いま、シアワセ?

 

 

それって、キモチイイ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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