前回は、わたしが普段行なっている創作過程をお伝えしました。

 

簡単に言えば、脳内の無限なイメージから

欲しい五感だけをもぎ取り

最後まで下書きをしない、というイメージ優先のやり方。

 

つまり、クリエイティヴィティの現場では一般的な

ラフ案や下書き、絵コンテは必要ない、ということであり
その一番のメリットとして

書くべき内容のストックを制限なく持つこととが可能だから・・

 

とお話しましたね。

 

 

フォトエッセイでも、写真表現でも原理は同じく

脳内イメージを紙に描くのは

「ただの一度きり」という考え方。

 

 

もう一度おさらいしたい方はこちらからどうぞ→

 

 

 

 

 

 

では、さらに具体的にこの脳内リリースの仕方をお話ししてゆこうと思う。

少々長いけれど、ここまでお読みのあなたなら

一気に読みすすめるはず。

 

 

ここでお気づきかと思うが、

書いた文章の内容に合わせて写真を撮る、

ということは本来、人間はできない。

 

言葉に置き換えているとき、無自覚でも

イメージは既に存在しているものなのだ。

 

だから、「思考」というのだろうし、

写実は後付けのようなものなのだろう。

 

 

それでも一度浮かんだイメージを作ってみたくなる衝動は

抑えずに、どんどん出すべきだ。

 

下手くそでも、遠くても、はじめてでも

恐れずに出し切って行くことでしか創作の道は通じない。

 

 

この脳内表現のプロセスは以下の通り。

 

ラフ案(絵コンテ)は最後まで書かず、

キーワードだけにとどめておく、というのがポイントだ。

 

 

脳内ノート⑴

 

はじめに、表現したいイメージ映像を思い浮かべる。

 

動画を集めてもいし、複数の写真をセレクトして

パズルのピースをテーブルに並べるようなつもりで量を意識する。

 

ここではストーリーを作ろうとしないこと。

バラバラでいい。

ひとつひとつのイメージも未完成で大丈夫。

 

これを数週間から数ヶ月、繰り返す。

 

期限は創作によって変えればいいし

脳内に時間はない、と意識して

貪欲にパズルのピースを揃えてゆく。

 

これ以上、パズルが揃わなくなったら⑵のタイミング。

 

脳内ノート⑵

 

浮かんできたイメージを忘れないようにキーワードにして

メモをとるようにする。

 

記憶力に自信がある方はメモをしなくてもいいが

イメージ像のピースはいつどこで使うのかこの時点では予測できない。

 

できれば、浮かんだ絵が消えてしまわない新鮮なうちに

簡単に文字にしておくことをお勧めする。

 

いつかどこかで見た印象深いイメージ像で構わない。

 

 

脳内で流れてくる映像を「可視化して」メモに残し

目を閉じても視えるスクリーンを

ぼんやり眺めるような感覚でいること。

 

 

たとえば、人が立っているイメージを思い浮かべたとしよう。

 

その人を脳内スクリーンでよく観察する。

 

すると、(わたしの脳内では)その人が黒いコートを着て

後ろに湖があり、その前の野原で立ち尽くしている映像が見えてくる。

 

その人は向かい風に髪をなびかせて遠くからこちらを向いている。

 

泣いているようにも見えるし、

怒っているようにも見える。

 

逆光が強く、野原の枯れ草が金色に輝いているから

秋から冬の夕暮れだろう・・・

 

寒そうな頬の皮膚、遠く流れてゆく雲、樹々のかすれる音、

乾燥した草の匂い。

 

熟れた果実が足元に堕ちている。

 

 

こうしたメモはイメージで浮かんだ全てを文字にする必要はない。

 

いま、流れてくる脳内の映像が

もう一度、再生できる最小限で構わないので前後関係なく残してゆく。

 

大切なのは、コマ割りや構図など作らず、

思考の境界線をなくしてゆくこと。

 

まるで列車に乗って窓から眺める風景を見ているように

ありのまま、そして気になった部分を観察する。

 

目の前の流れてゆく情景が消えてしまう前に、

瞼でシャッターを切り、写真を集めて記憶してゆく。

 

急に浮かんできた鮮明な像がたくさん出てきたら

すごくうまくいっている証拠だ。

 

野原の前で、黒いコートの人が何かセリフを言っていたら

窓越しにその声のトーンを汲み取れるくらいリアルに。

 

 

脳内ノート⑶ 世界観を創る

 

後日、そのメモを読み返してもそこに描かれた情報だけでは

思い出せなくて残念な気持ちになることもある。

 

(実際、クリエイティヴ作品に昇華するには

突然降ってきたようなアイデアや記憶はあてにならない。)

 

そのため、詳細に言葉を付け加えるようにする。

 

ここで書きすぎてはいけない。

 

起承転結など無視してしまうこと。

 

もし小説になってしまったら破棄する

 

最悪、ベタベタな絵コンテになっていたら

すべてやり直すくらいの気持ちで

脳内イメージの印象的な映像だけを思い浮かべてはメモを取る。

 

これを繰り返し、もうこれ以上視えない

というくらいまでノートに書き込む。

 

 

やがて自分だけの、そして

これから招きいれるべき他者が行き来する

「世界観」となって立ち現れるのだ。

 

 

ノートは何冊あっても良いし、付箋で書いてもいい。

無理にまとめる必要もない。

 

ちなみにわたしは、物忘れが素晴らしいので

キッチン、ベッドサイド、リビング、

トイレ、洗面台・・・と部屋中いたるところにメモセットを置いている。

 

自分のしっくりくる記録の取り方を発見するのも楽しい。

 

【1年前のノートの断片

 

朝霧、 湖、白い衣装、シルエット、下向き、

さらりと流れる木々の音、丸い光、青、わかば、遠くの青、

水に映る空のいろ、遠くで反射するキラキラ、前髪はらり、

和装の人眩しい、無心、夏の風がふわり、肌さわりはさわさわふっくら木綿のハンカチのよう

遠くに鳥の囁き、2秒後の足取りは右へ、蚊帳が揺れるその向こうの景色

夏休みに帰省したあの人、都会の残照、長い指・・・】

 

 

 

 

脳内ノート ⑷フォトエッセイとヴィジュアル

 

いくつか映像を思い浮かべてメモに残したら、

表現したいスタイルに合わせた

そのラストシーンやクライマックス使いたいイメージ像を選ぶ。

 

たとえば、文章であれば、最後のオチになるシーンで

2〜3行書けるくらいのボリュームにまとめる。

 

ここで2つに別れる。

 

ひとつはフォトエッセイ。

 

凝縮したストーリーに必要な量に合わせて

残った映像のパーツをつないだり、

足りなければ足したり部分的に切り捨てたりしながら、

一本15秒のCMを作るような感覚で編集してゆく。

 

もうひとつはヴィジュアル。

 

写真表現(または絵画やイラスト)であれば3秒のCMの構成。

編集はしない。

 

瞬間的でもスローモーションでも構わないので

中心になる世界観を大切にし、

妙に付けくわえないように意識する。

 

 

脳内ノート⑸ ひたすた作業

 

文章のスタート部分は、

創作したい(書きたい)文章量に合わせて決めてゆく。

 

短いページで作品を終える必要があるなら、

物語は突然はじまり、その唐突さを世界観に埋め込む。

 

つまり、スピード感があり、展開が速く

一気にラストに持ちんでゆく構成へ。

 

 

すでに⑷でラストが決まっているので

書きはじめのキーワードはラストとは関係ないものを選ぶようにする。

ここでパズルの量が質を決める。

 

全体が引き締まったイメージにしたい時と

静かに呼吸するように終わりたい場合をわけてキーワードを構成し

 

余裕があれば2作を作ってみると短いストーリーでも深みが増し

世界観を尖らせることができる。

 

ヴィジュアルは淡々と純度を高くするのみ。

フィルターに詰まった残りものを

いとも簡単に捨ててゆく作業。

 

 

注意してほしいのは、⑷のシーンを決めないまま

この作業を進めないこと。

 

クライマックスとは創作そのものであり、

アーティストのシルエットだ。

 

伝えたい世界観がここ詰まっていなければならない。

 

だからここが決まっていない創作は

作者が存在していないのと同じことになってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

脳内ノート⑹ だから感覚を研ぎ澄ます

 

しかし、毎回うまくいくとは限らない。

創作とはそういう性質のものだから

結果を求めない覚悟をしたい。

 

 

仮に、ラストではなく、はじまりのシーンが思い浮かんでしまったら

運が悪かったと諦めよう。

 

 

せめて使えなかったそのシーンに短い文章のメモをつけ、

きれいさっぱり忘れてしまうことだ。

 

手放すことを何度かしていると

次のイメージが湧いてくるので潔く忘れられる。

 

 

そして何もなかったかのように、

また真っ白な状態でラストシーンを思い浮かべたり

イメージ像の別のピースを揃えたりしてゆく。

 

 

せっかく可視化したイメージを手放す行為に

不安を感じる必要はない。

 

大切なイメージだとしても

一晩寝れば、面白いほどに忘れている。

 

そもそも、脳内で浮かんだ虚像なのだ。

 

 

だが、メモを読んだときは

イメージとつながるようにしなければないない。

 

秘密基地のようになったメモから感じる像は

何度も見えていた方が可視化しやすい。

 

ここまできたら映像のパーツを物語の流れに合わせて

場所や時間帯を変更しても良い。

 

多分、このときには

脳内で生まれたキャラクターたちは

おしゃべりをしているだろう。

 

背景からは音が聞こえ、

どこからともなく匂いも流れてくる。

 

もし、イメージ映像が思い浮かばなかったら

インプットが足りていないと自覚することだ。

 

初めての映画を見たり、本を読んだり、

知らない分野を学んだり、

手っ取り早く図書館に籠ってもいい。

 

散歩するのもいいし、新しくできたお店を訪れ

初めてのメニューをオーダーするのもいい。

 

旅に出て足りない感覚を手に入れるのはもっといい。

 

 

ときどき、「何も思い浮かばないんです!」

 

という方に出逢う。

 

そういう人には旅に出ることをお勧めしている。

 

近場でいい。

日帰りで海や温泉もいいだろう。

 

経験上、場所を変えるのが一番早い。

 

遠ければ遠いほど良いというご意見もあるが

要するに、慣れてしまえば距離や場所は関係なく

 

あくまでも「感度」の問題なのだ。

 

いくら世界旅行へ出ても不感症であれば

全く意味をなさない。

 

 

 

 

話を戻すと・・

 

もしメモを見ても映像が頭の中で再生されない、

もしくは毎回違ったものが再生されてまとまらない、

映像がぼやけていてはっきりしない

映像にならないで一枚の絵や写真でしかない

フルカラーではなくモノクロである

 

というような人には、わたしのこの方法では

創作しづらいと結論づけているので

別の方法を模索して欲しい。

 

 

脳内ノート ⑻ 最後にイメージ写真の創作

 

全体のイメージが一本の映画に出来上がったら

絵コンテのように、脳内に映るスクリーンを

コマにして止め、少しづつ描いてゆく作業をする。

 

一連のイメージ映像をいったんバラバラにし、

ひとつひとつ背景と構図、人物像を決定してゆくのだ。

 

実はここまで来てもまだ最終のラフ画は描かない。

 

 

頭の中のスクリーン画像の一番美味しく、美しいと思う部分を

いい構図で止めて切り取り取る、

という単純作業に置き換えるだけにしよう。

 

そしてそれに新たにメモを足すのだ。

 

残したい一枚の像になったところでやっと、

細かな写実を決めて一緒に書き込むことが可能になる。

 

 

「縦構図。寄り気味。風に揺れる白。和服。

レンズは85ミリ。単レンズ、標準。

湖を背景に柳の前で人が立っている。

逆光の中、揺れる枝とわかば。淡い影。

何かをしようと動くその数秒前、または後。

朝の青い光。表情は無。」

 

 

というように具体的な情報を言葉で書いてゆく。

足してゆく時もあるし、

物理的に無理な場合は引き算をしてゆくこともある。

 

やみくもに書くのではなく、頭の中の映像を常に確認しながら、

視えたままを紙に落としてゆく。

 

脳内の映像を見ながら文字を書くということは

 

「初夏の背景、左に焦点、日中シンクロ、奥ボケ、揺れている若葉」

 

というような文章を書くだけで完結する。

 

もし、エッセイなどまとまった文章にしたい場合

左に焦点が合っていて奥がボケけている背景とは

どういう風に言葉であらわすのか?

 

文章を書くときの自分に重ねあわせ

自然に書けるまで待つようにしている。

 

そして、ここが肝心。

 

《自然に書けるまで待つ》

決して構成して書いてはならない。

 

 

何度もしつこいようだが、

いまはただ可視化したい事象だけを文字にしてゆく「作業」であり

創作にはしないようにしたい。

 

 

エッセイの場合、冒頭ページのシーンから

ラストシーンまでのすべてを同じ手順で繰り返し書き上げる。

 

セリフや文章のリズムは自分の手が知ってるはずだ。

それを信じて、この時

限りなく「作業」に徹するのがコツ。

 

 

必要のないシーンがないかどうか冷静に見極めたり

言葉を増やす必要があるかもしれないが

そこを丁寧にすくい取り、適切な写実をする作業でもある。

 

(この説明は別の機会にでも)。

 

 

 

 

 

 

 

ここでやっと

原稿用紙を用意して一気にラフ案を書いて仕上げる。

 

 

各シーンのイメージとイメージ

場面ごとのセリフや構図はもうすでに決まっているので

適切な段落替えもページ変更も簡単にできる。

 

 

ここまで来たら、やっとエッセイを書ける。

 

実際に原稿用紙に書いて初めてわかることもあるから

多少の微調整は必要だが、

複雑な構成や同じ絵コンテを何度も書く時間や労力を使うより

脳内イメージを取り出すだけの日常が加わるだけなので

はるかに早いし、効率的。

 

それに正確で鮮度もいい。

 

 

 

脳内ノート⑻補足  写真はリアル

 

イメージ写真ならやっとラフ画を描き、

撮影に出かける準備をし、人材を手配したり

場所設定をするという段階に入る。

 

多少の時間がかかるが、表現行為が違うだけで順番は同じだ。

 

書き残した短い文章を見て、イメージ像を思い出し、

それを脳内スクリーンで映し確認しながら

ラフ案に描き写してゆく。

 

 

カメラのシャッターを切るのはこの先であるけれど

すでに像となっているので完成に近い。

 

それよりも、「現像」というもう一つの大きな制作がある。

 

だから、撮影とは、書くよりもずっと

地道な作業だということがわかるだろう。

 

(最終的な創作、写真現像についてはここでは割愛したい。)

 

 

リアルに言えば、撮影現場というものは

脳内スクリーンの予想をはるかに超え

なんでー!?

 

ということもしょっちゅう起こる。

 

太陽の機嫌が悪い、月の位置が違った、

星が出ない、雨が降らない

衣装が届かない、モデルが不機嫌、

ほっぺに吹き出物ができた

 

渋滞にハマる、夕日がみるみる間に沈む

標識がデタラメ、山道に迷う、コンビニがない

トイレがない、酔っ払いに絡まれる

 

新興宗教が管轄する畑に間違って入ってしまう

撮影中、不審人物に見られ警察に通報される・・・

 

嗚呼・・・・!

 

 

そんな時にどれだけリカバーできるかどうかが

人間としての振り幅の大きさだと思っている。

 

どんなシーンでも最後にイメージを仕上げるのは

写真家のセンスでしかないのだ。

 

だから、毎回ヒリヒリするような緊張感を持って

その場のハプニングを愉しめばいい。

 

絵コンテや創作過程より、頭の中にある秘密基地は

はるかに愛があり、いつでも手で掴めそうなほどリアルなのだから。

 

 

さて、と。

 

そんなことを若きアーティストと話すと

軽く1週間くらいかかりそうで、めまいがするので今はやめておくとしようか。

 

 

 

 

 

P.S

最後に、メールを頂戴したのでお知らせを。

 

「脳内創作ノートのテキストをコピーさせてほしい」とリクエストがありました。

 

 

わたしがここでお役に立てるのは大変嬉しいこと。

 

実はこれは個人セッションに使用する大切なテキストなので

掲載している内容のコピーや転送、再編集など行なうことはお控えしていただきたいのですが

作品創りのためにぜひ利用したい、このアイデアを活用したい、

というご要望であればOK。

 

その場合、コンタクトページから「脳内創作ノートのテキスト希望」

とお書き添えいただければ

PDFファイルにまとめてメール添付させていただきます。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

PDFファイルご希望の方 Contact  →

 

 

maquico kitagawa

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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