先日、中止になってしまったとあるエキシビジョンにて

関係者ミーティングがあったので会場へ出向いた。

3月だと言うのに雪がちらつき

凍えるようなホールに簡易チェアがなおさら冷えた。

そのとき、写真家のR氏が日本のアーティストの在り方について

トークをした内容が印象的だった。

凍えて歯がガチガチしながら全身で聴いた忘備録。

 

*  *   *   *

 

ーーー僕がいまのアーティストに思う事は2つ。

ひとつは自分の作品を作品として残す努力をもっと意識的にして欲しいってこと。

これまで世界は、色々なグラビア誌やCMが数多くあって

それに載ることが発表になっていたし

発表されることがある種ゴールとなっていたでしょ。

 

ファッションでもダンスでも媒体に掲載されれば

作品はひとりでに残っていったんだよね。

でもさ、いまは発表の場が極端に少ない。

だから媒体に委ねていたらダメなんだ。

僕らは意識的に作品を制作しなくちゃ作品は残らないんだよ。

 

個展は年に数回もできないし

若い奴はギャラリーに展示するお金もないし

それに理解のあるギャラリー自体どんどん減っているし。

大きなエキシビジョンだってこうして理不尽に絶たれる。

 

この事実を受けいれながら

最終的にどうなるかは想定しなくても作品は作れるってこと。

作らなくちゃ残らないばかりで時間がもったいないよ。

 

僕なんか食べる時間も寝る時間ももったいないくらい

ずっと作品のことしか考えてない。

で、どうするかって?

そんなのあとで考えればいいじゃない。

 

 

ふたつ目。

自分の最終目的は作品展示にあるのか、作家活動そのものなのか、

最終形をはっきりしなくてもいいということ。

 

僕は日本に来て30年。

こうした新しい企画や展示場を含めると

年間20万人以上の作品や作家の人たちの発表を見る機会がある。

他の国とどこが一番違うかというと

日本の人たちは本当に優秀で感性が良いのに

見る側の目が肥えていない、という点。

 

こんなにも素晴らしい先進国なのに

僕なんかから見たらパラダイスなのに

なぜ? アートってそんなに面白くないの?

って残念に感じてたんだ。

 

でも、それは僕たちの偏見かもしれない。

 

僕たち作家自らがいろんな作品をコレクターの方々に観て戴いたり、

一般の人というよりも、自分のファンを

自分自身で開拓してする意識を持たなくちゃいけないような気がする。

 

日本人はシャイだから全然気のない人に声をかけて

興味を持ってもらおうとしても難しいのかもね。

 

だから、せめて熱心なファンを作るように活動しよう。

ファンがファンとしていられる場を作って、

発表して、見て触れてもらって、ハッピーになってもらえる

そんな役目をしなくちゃ。

 

もちろんギャラリーの展示を目指して

創作努力を放置することはないけれど、

どちらにしても、最終的には作家の作品性と

パーソナリティの問題に関係すると思う。

 

無理にフレンドリーにならなくちゃいけないとは言わないけれど

アーティストや写真家の人たちは作品制作だけではなくて

独自のファンを広めながら、アートの素晴らしさを

理解して戴くことにも努力して欲しい。

 

そうすると、本当は、写真集を手に取ってくれる人たちへ

自分の時間を届けることと

作家活動そのものはイコールになると思うよ。

 

最終的には人間性なんだって気づくからね。

アーティストで生きてゆくってそういうことだよ。

 

 


 

彼の作風とか彼がどんな作品を撮っているのかわたしは興味がないけれど

活動量とそれに付随した結果を出しているアーティストのひとりだと認めた上で

楽しめたトークだった。

 

同意。

くだらない企画やお金の計算ばかりしているギャラリーなど気にしないで

作って残すという当たり前のことを愚直にやってゆくエネルギーが

この国には足りないのかもしれない。

 

どんな世界だって

最終的には人間性。

 

それは、

どれだけ面白いこと

面白いと感じることをやれるか、とうことと

自分の遺伝子と自分から生まれた作品を

どれだけ次の世代に受け継いで

連続的なクリエイトができるか、なのかな。

 

 

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