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混同されやすい考え方に

テーマとモチーフを分けるという考え方がある。

 

 

これは、どんなモノゴトでも同じ論点で

特に作品をつくる上では避けられない。

 

 

 

両者が重なる部分もあるが本質的な性質は全く違う。

 

 

一般的に「テーマ」が作品のアイデア、イメージ
 
目的など指すのに対し
 
「モチーフ」は特定のイメージや出来事をいう。

 

 

随筆や組写真では多くの場合、
 
作品中で繰り返されるのがこれに当たる。

 

 

わかりやすいたとえで言えば

 

赤い花をモチーフに女性性をテーマに
 
組写真を創作している、などがある。

 

 

モチーフが明確であれば、
 
国籍や言語、年齢というフィルターで伝わり方の感度が違っても

 

本質的な感覚は届くものだ。

 

 

現代美術では、モチーフを意識して描くのが
 
ごく当たり前になっている。

 

 

パターンとも言える自然の模様、
 
水玉や雪の結晶、液体の流線、花びら、動物のシルエットなど

 

具体的なカタチがモノたちを繰り返し作品に登場させ印象を残す。

 

 

 

それらは、天文学的な量で創作され、やがて抽象化され
 
最後には原型はとどめなくなるのだが

 

 

こうして作家にとことん愛された証拠として
 
別の形式となってゆくのを観るのは愉しいものだ。

 

 

 

 

ところが・・・

 

このテーマやモチーフを大切にする写真家が少ないのが日本だと聞く。

 

 

確かに、「モチーフを持とう」「テーマを深掘りしよう」
 
と説いている写真家は少ない。

 

 

講師が同行して風光明媚な場所へ訪れる撮影ツアーの類は
 
各地で毎日のように開催されているのにもかかわらず、
 
その中身と言えば、観光バスツーと何の変わりもない。

 

 

 

それが目の前の風景をきれいに撮ることだけが目的の
 
ある種「情弱ツアー」であることは間違いないと思う。

 

 

技術を上げるためには高級機材を購入しましょう、という
 
おきまりの資本主義。

 

 

そういった浅い感性だけが蔓延ってしまった結果だからだろうか、
 
日本人は、テーマを「自己表現」として模索する人が多い。

 

 

写真だけではない。

 

 

どんなクリエイティビティの場でも
 
この間違った方向性の中で
 

闇雲に探し続けているように感じるのだ。

 

 

それは「自己表現」ではなく「自己主張」だということに
 
なぜ気がつかないのか。

 

 

つまり、創作者の主観や、心理描写にウェイトを置き
 
言語化しやすいテーマを選ぶことを好む。

 

 

写真の場合、撮影のときに「ここで何を感じて撮ったか」を大切にする。

 

 

海外、特にヨーロッパでは、

(心配性で勤勉な国民性が日本人に似ていると言われるドイツ人でさえ)
 
写真においてはむしろ正反対で
 
テーマよりモチーフを重んじるように私には映る。
 
 

 
有名なベッヒャー夫妻が、その最たる先駆者だ。

  

主観を徹底的に外して、鳥瞰をつらぬき
 
どこまでもドライにモチーフを繰り返し繰り返し、
 
描写するスタイルだ。

 

 

 

これが同じ東アジア圏内でも韓国や台湾のアーティストたちに
 
モチーフを重視する人が多くみられるのは
 
間違いなく日本人より国際感覚が発達しているからだろう。

 

 

わたしは以前、オファーがあった専門学校の講座で
 
《モチーフを繰り返し使う客観》を
 
大切にして作品づくりをやってみようと試みたことがあった。

 

 

最初は面白そうだと盛りあがったが
 
この深く長いトンネルの入り口だけで諦めたのか
 
最後まで完成せず脱落する人ばかりだった。

 

 

結局、半年の講義の中で実行する人はほとんどいなかった。

 

若い彼らでのそうなのだから、
 
もしかしたら日本人はどこか心理描写の要素がないと
 
表現につまずくのかもしれない。

 

 

これは文章表現でも、音楽でも、絵画でもその傾向だ。

 

 

謂ゆるミニマリズムと言われる主観を排した
 
モチーフを繰り返す作曲法を得意とする日本人作曲家はほとんどいない、
 
と友人のジャズミュージシャンの男性が教えてくれたことがあった。
 
 
どうやら視覚的なことだけではないらしい。

 

 

「音楽はリズムだからね。
 
変化したり感情を入れて当然なんだけれど
 
それはメロディーになってから発生することで
 

本来、一定間隔の心地いいリズムをそれぞれに探すべきなのにね」

 

と彼は話してくれた。
 
クリエイティビティに答えを求めてしまう傾向も
 
似ているかもしれない。

 

 

つまるところ、やはりわたしたち日本人は
 
どこか感傷的でロマンティックな要素がないと
 
「表現」だと感じないからなのかもしれない。

 

 

もちろん、それは理解できるのだが
 
そこからの発展が乏しくて幼稚だと「世界に思われている」ことを知るべきなのに。

 

 

 

ドイツのベッヒャー夫妻のタイポロジーほど
 

徹したスタイルでなくとも
 

モチーフをはっきり意識したつくり方をする人が
 
もっと増えてもいいのではないか。

 

 

これから執筆活動やテキストを書いて創作するひとや
 

出版や独自配信を計画しているひとは特に
 

テーマとモチーフを区別して考えることをお勧めする。

 

 

 

もしこれまで「モチーフ」というものを

あまり意識してこなかったとしたら、

これを機に考えてみてはどうだろうか。

 

 

 

なぜなら、近い将来、どんな表現もジャンルも越え

フレキシブルな具象を求められる。

 

 

複雑な感情論を外した描写こそ

世界にそのあり方が残るもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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