kertesz_26

@Andre Kertesz  「On Reading」

 

写真になにができるのかと考えるとき、

わたしはこの1冊が持つ至福感の共有を想い起こす。

場所も民族も宗教も言語も超え、

“同じ時間を知っている”という悦びを

これほどロマンティックに現した写真集はないと想うのだ。

 

それは、ここではない彼方にある秘めごとに似た感覚。

 

あなたが、本を読むことが好きなひとで、

本を読める時間を愛おしいと感じるひとであったらなら、

ぜひ、手に取ってほしい作品だ。

 

それがアンドレ・ケルテスの ON READING「読む時間」(日本版)。

 

yomujikan2

@Andre Kertesz  「On Reading」

 

ここで、「読む寫眞」シリーズのことを改めて書くとすれば、

わたしが独断と偏見で選び、推薦する作品集や写真作家たちは

圧倒的に古い世代の写真家が多い。

理由はふたつある。

 

そのひとつは、誰もが知っているようで、実はよくわからない、

でも目にした時から気になっている・・・

という写真作品をワンランク上に愉しむには、

 

まずは作家の生き方や作品の背景を遡らなければ、

本質的に理解できないだろうということ。

 

大雑把に言えば、写真作品は現代アートに位置する。

これは、美術という文脈の中のほんの1ページでしかないかも知れない。

逆に言えば、1ページだけ読んでその物語のすべてを

知ったかのように読み進めるのであれば、

やはり、いつまでたっても「よくわかんない」で終わってしまうのだ。

 

破り捨てられた前章を見つけられないまま、

穴だらけの頁をひたすらめくっているような間抜けさは

早めに気がついたほうがいい。

かといって、写真芸術の場合は、

気が遠くなるほどの太古まで時間を巻き戻す必要もないので

安心して知ることができる。

 

もうひとつの理由、それは、写真家が歴史ある大判カメラから、

現在の原型でもある小型カメラに持ち替えて

作品を撮りはじめた時代の変革が伝わるからだと想うのだ。

 

現代のようにイージーに室外へ持ち運ぶなど

考えられなかった大型カメラ全盛期に確立した

完璧な構図と美学が、当時最新だった小型カメラ特有の

偶然的な瞬間のエネルギーと絡み合い

一枚に集約されているのだと感じている。

 

写真という表現が、日常の中で当たり前になっている現代において、

最新の情報を集めるのは、もはや容易い。

 

検索窓にキーワードを打ち込めば、

好きな写真や写真家を見つけることも瞬時にできてしまう。

けれど、本当に見たい本質へ光を当ててくれる

揺るぎない存在や、絶対的に信じられる優れた作品というのは

どうやって出逢えるのだろう?

 

そう考えた時、わたしに悦びの光を与えてくれる作品は、

圧倒的に古い時代のものが多いのだ。

さらに興味深いのが、写真の歴史などひとつも知らない人でも

同じように心が動くという、

人の潜在的な心の動きがあるということ。

そこには難しい理屈も長い理由もない。

時代を超えて感動することができる貴重な作品として

五感をフルに解放して愉しめばいいのだ。

 

yomujikan1

@Andre Kertesz  「On Reading」

 

「意味なんか求めずに心のまま感じればいい」

 

アンドレ・ケルテスの写真を見ていると、

耳元でそう言われているような気がする。

その言葉こそ、真理であり、

わたしたちを捉えて離さない魔力なのだろう。

彼の作風からは、どうやっても引き込まれてしまう静かな詩が流れている。

その詩が、完璧な構図と軽妙な偶然性を兼ね備えているからこそ

彼の撮影する背景について状況を巡らせることができる。

 

 

アンドレ・ケルテスは優れたスナッパーであり、

ライカの名手でもあり、職業写真家でもあった。

そして、現代のインターネット・ブログとでも表現すべき

写真でヴィジュアル日記を制作する、私的な記録写真を残した写真家だった。

当時、写真はまだ、社会的な情報記録のためか、

もしくは一部の貴族の肖像画代わりでしかなかったのだから、

私的表現を撮るということは、

かなりのアバンギャルドであったのだろう。

 

ケルテスは、ハンガリーのブタペストで生まれ、

ブタペスト証券取引所で働きながら

初めて買ったカメラで故郷の風景や

ポートレイトを撮ったのが写真と出会いだった。

 

その後、会社員を辞め、

写真の世界で生きてゆくことを決心しパリに移った彼は、

フランスとドイツのグラフ誌のフリーの写真家として働いた。

どこにでもありそうな風景が、彼の手にかかると魅力的なアートになる。

それは、スナップ写真だけにとどまらず、

フォトジャーナリズムの先駆者的な働きを残し、

 

あのマグナムフォトの代表者、カルティエ=ブレッソンやブラッサイにも

大きな影響を与えたとして知られている。

 

戦争の為にアメリカに移住することになったケルテスは、

市民権を得たあと、アメリカでファッションや

インテリア写真を撮りながらも

写真家としてはパッとしない時代を過ごしている。

ヨーロッパ的な写真美がアメリカでは受け入れられなかったと

どこかで読んだことがあったが、記憶に残っているのは、

 

それでも、彼は、自分の作品を撮り続けたということだ。

 

才能を認められず異国で生き、創作し続けることの厳しさ、

精神力を想うと、とても厳粛な気持になる。

もしかしたら彼は、本に読み耽り、心奪われている人たちのように、

きわめて個人的で普遍の瞬間が、スナップだったのかも知れない。

創作することで、彼自身の至福感を保っていれたのかも知れない。

 

言葉では言い表せない絶妙さ

どこを切り取っても詩的な流れ

その詩が物語を生み

見るものの心を惹きつけて離さない写真の創作を。

 

彼の作品は有名なものが多く一冊だけ紹介するには躊躇うけれど、

敢えて、まだ未開な人のためにお伝えしようと思う。

 

On Reading 「読む時間」

1915年から1970年までの永い間に撮影された

ひとことで言えば、美しい詩を読んでいるような作品だ。

 

本を読んでいるその人の、こころを占める至福の時間を、

その恍惚の真っ最中を、共有しているかのような、そんな感覚に陥る。

 

無秩序に並べられる本を読む人々、

店の壁にもたれて、路上に寝転んで、電車の中、公園のベンチ、

ベランダ掘りに腰を下ろして、舞台の裏で、

図書館の本棚の隙間で我を忘れて・・・

 

どれも束の間のような、もしくは、永遠にも感じる瞬間。

人がなにかに夢中になり別の世界へ至福を想うとき、

置いていったのは、無防備なまでのその身体だ。

 

肉体を置いてきぼりのまま、その姿を

ケルテスのファインダーによって残され、

あなたが本の中で見ているという

立体的な思考回路が頁をめくるたび生まれる。

きっとこの人と同じ時間を持てていると

ほっとするような悦ばしい安堵が湧き上がるだろう。

 

それは、場所も時間も書かれている言語も超えて、

彼らと同じ豊かな時間を知っているという

柔らかな衝撃をあなたは受けることになる。

 

誰にも邪魔されない、独りだけの世界へ旅立っているその瞬間。

 

読むという時間が与えてくれる無償の悦びに満ちた

あなただけの世界へ。

 

 

この写真集には「読むこと」という谷川俊太郎の詩がついている。

 

 

「なんて不思議……あなたは思わず微笑みます
違う文字が違う言葉が違う声が違う意味でさえ
私たちの魂で同じひとつの生きる力になっていく」(選抜)



yomujikan01

 

ON READING  読む時間 アンドレ・ケルテス

 

 

ケルテスは1985年に90歳で亡くなっているが、

この年には日本で個展を開催し、

日本版の小さな作品集「読む時間」を発表。

驚くことに来日もしていたというスーパーなおじいちゃまだ。

帰米して暫くてニューヨークで急逝したのだから、

この小さな日本版には、来日した彼のファインダー越しの想いを

カタチにしたような趣が感じられる。

 

 

image-73p

 

(2015年10月の記事を再投稿しています)

 

 

 

IDEA キャリアプログラム2020 オンラインセッションのご案内

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です