ファーストフォトセッションに失敗した。

初めて逢うモデルとのテストシュートだった。

 

無表情なモデルの表情を見極め、40分経ったころ

ファインダーから視線を下ろし黙ったまま撮影を中断する。

 

大好きなスタジオで初めて立ち直れないような重い気分のまま

休憩室に入った。

 

どうしたって退屈なポートレイトばかりだ。

 

これまでも人物写真の希薄さが

いつだってわたしをガッカリさせてきた。

わたしだけならまだしも、

将来ショービジネスを目指す若者やファン、

何よりもクリエイトしてゆく関係者をことごとく萎えさせてきた。

 

つまり、薄っぺらくて、密度が低く、虚しさすら感じない

そんなどうでもいい写真のことだ。

 

いつ頃からそう思うにようになったのかよくわからない。

 

世代の違うモデルたちが何をしたわけでもない。

むしろ、彼らの感覚の方が

ずっと正しいベクトルを向いているからこそ

我々が苛立ちのようなものを感じてしまうのだ。

 

結局のところ、

被写体と同じ深さまで潜り込めない写真が多発して

わたしの分身が空中分解されずに

ちりのように漂っているいうことなのか。

 

現代宗教であるインターネットコミュニティーで出逢う

プロフィール写真が浮かぶ。

 

彼らにとって画像や写真は、最強の無言ツールだ。

SNSには、無表情で捉えどころのないイメージを作って

自分を塗り固めた少年少女たちで溢れている。

 

国籍不問、華奢で年齢不詳なことが

彼ら彼女らにはステイタスらしい。

 

その人形みたいに無機質な姿を残すことで

世の中に関心がないことを強調するのだが、

それは逆説的に、なにかに強く惹かれ

自分を忘却するほど熱狂したいと望んでいる

無言の叫びが聞こえて胸が痛くなった。

 

休憩を終え、再度ポートレイト撮影がはじまった。

 

どうやっても退屈な表情をする被写体に

わたしはこれ以上撮る意味を感じないと言いかけたとき、

こちらの視線を察知したのか、急に挑発的な物腰に変貌し

その時だけ、わたしはシャッターを切る、という行為になっていった。

そうして、憂い顔からときおり垣間見せる

視線の強さを追って行くうちに、

目の前の新しいジェネレーションギャップの熱が

もっと鋭く強烈であるようにと、

他ならぬわたし自身が密かに期待をしていたことに気づいてハッとした。

 

本当は、退屈しているのはわたしなのかもしれない。

 

 

なにかに似ていると思った。

ちょうど、デジタルカメラしか知らない世代の、

プライバシーを覗き見するようなSNSを彷徨っている気分だ。

 

あの世界の虚無感が伝染してしまったのかどうかはわからない。

撮影中、シャッターを切るたびに

他人の心の奥に触れる奇跡のような瞬間は

最後までやってこなかった。

 

 

今、すべての画像は作り物であり、虚像でしかないのか。

それにうんざりしながらも

離れられなくなった集団性無意識が

他人に干渉することをさえも退屈しのぎにさせてしまう。

 

そんな不感症を無自覚に持つ彼ら。

 

リアリティな写真などという死語はもういらないのだ。

 

写真は別次元のものとしてリアルから離れ

世界は「虚像の私的画」で成り立っている

そう考えずにはいられない日常の中で

気がつけば「セカイ」はいつだって

彼らのスマートフォンの中にあるのであれば、

ヴィジュアルの嘘と遊ぶ彼らの無言のセカイ=画像

それこそが真実なのかもしれないのだ。

 

それを認めてもなお、

彼らの虚しさを払拭できないのはわたしの弱さなのか。

 

でも、どうしても理解ができないことがある。

わたしはモデルを目指す人のように

何かを超越したタイプのひとは

時代の最先端が生みだした新種だと思っている。

それは、絶滅危惧種の動物の、

儚くも強い意識が放つ光のように視える。

 

理屈なく突き動かされるビジョンを持ち、

此方にはない理想の自分を予感し

まるで自身の魂にインスパイアされて

セカイを創るべきだと立ち上がった人が、

どうして「退屈なポートレイト」に向かってしまうのか。

 

最先端のモデル(存在)として生きると決めた彼らは

なぜにエモーションを現せないのか。

 

わたしは、シャッターを切りながら

この疑問をずっと持ちつづけることに耐えられるだろうかと考えていた

 

理解してあげたいという感情と

やはりできないという拒絶とのあいだで

揺り動かされたまま写真で語ることはある意味、

写真家にとってのリアリティそのものだとは思う。

 

同時に、彼ら彼女らはこの退屈さで生き

どうやってその血を昇華させてゆくのか。

 

一粒の時代の原石を、わたしが今ここで追求せずして

なにを残すというのだろうという

厚かましいもうひとりのわたしが顔をだす。

 

その先に一体にがあるのか、今は想像がつかない。

 

それでも、彼らの声にならない言葉が発するものを

丁寧に嗅ぎわけることからしか

時代の欠乏感を写し出すことはできないのだ。

 

 

 

 

 

 

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