写真現像の手をとめ、コーヒーを淹れているとiPhoneの着信音がなった。

 

「いま、どこにいる?!」

相手はなにやら慌てている声だった。

 

「アトリエにいるけど、どうしたの?」

懐かしい声なのに、話しが急すぎだ。

 

「実はオレ、今からライブ撮影なんだけど、

緊急事態なんだよ」

「え? なに? 事故でもあった?」

「あ、えーっと」

「… えっ?」

「わ、、忘れた」

「… 何を?」

 

「ああ、もうさぁ・・レンズ忘れちゃったんだよー!」

「ふうーん」

「お、お願いします、貸してくだい!」

 

 

やりとりの途中、機材を忘れたんだなと気がついたわたしは

意地悪く知らんぷりをしたが

大の男が電話越しに泣きついてきているので

仕方なく協力することにした。

 

この彼は、先月までマンハッタンで個展を開いていた

アメリカのメディアでは名の通った写真作家だ。

 

久日ぶりに故郷の名古屋に帰ってきたというのに、レンズを忘れてきた天然ボケ。

わたしたちは、どれだけ有名で優秀でも機材がなければ写真は撮れない。

 

彼が言うには、スチール用に一眼レフを3台持ってきたのだが

日本行きが決まって慌てて準備したため、

レンズ12本をすべて別のバックに入れ替えていたらしい。

 

バックが違ったとたん、機材の中身がわからなくなり

すっかりレンズごと忘れてしまったのだとか。

 

わたしは、iPoneを片手に意地悪く「ふーん」と答えながら

いかにも海外生活の永い飄々として顎ヒゲの似合う彼の、

慌てた姿が目に浮かんでクスリと笑ってしまった。

 

いや、笑ってはいけない・・

自分のことだったらどうするのだ

アトリエの窓辺に腰掛けて深呼吸をしてみた。

 

ああ。ダメだ。

何度そう思い直してもダメだった。

人事は笑える。

 

はるばるマンハッタンから日本へやってきた写真家が

日本屈指のライブ会場の舞台裏へ入り、

しれーっとした風体をしてスラング英語で挨拶を交わし

 

緊張気味のスタッフが見守る中、

いざ機材をセッティングしようとしたら、

バックにはカメラボディだけがゴロン…

 

おいおい、冗談はやめてくれと黒いバッグの中を

祈るような気持ちで探っても

ドラえもんのポケットではないのでレンズのレの字も出てこない。

 

やばい。レンズがない。

 

みんな見てるぞ。

 

頭の中が真っ白になり、全身が固まる。

視線が矢のように刺さる。

 

なんでないの? 半泣きになって気がついても遅い。

レンズは海を越えた別のバックの中で眠っているのだ。

 

日本がいくらカメラ大国でも探しに行く時間もない。

藁にもすがる思いでわたしに電話をかけてきたに違いなかった。

 

わたしは、笑いをこらえながら

アトリエの棚にある替えレンズ一式をキャリーバックに詰め、

急いでタクシーでやってきたヒゲの写真家にそれを渡した。

 

道端で焦っている顔を見られたくないのか、

深々と帽子をかぶったまま、ルパン三世の次元大介みたく

渡したバックの中身を見るとクールに頷く。

 

そして、まるでギャングが盗んだお宝を受け取ったときみたいに

ニコリともせずに素早く去っていった。

 

 

そのエピソードを、別の写真家の友人に話していたら

その人も経験があると教えてくれた。

 

バリ島かどこか、インドネシアの島で

ある女優さんのロケ撮影へ行ったときのこと。

ロケ場所を移して船で無人島へスタッフ全員が移動することになった。

現地のアテンドには、再び船で夕方に迎えに来てもらう約束をして別れ

いざ、撮影、となった。

 

が、しかし、機材を確かめると

レンズ一式を入れたバックが見当たらない。

 

持ってきたバックには予備も含めて

たくさんのカメラボディが詰められている。

なのに、レンズは1本も入っていない。

 

海外ロケの場合、故障のことも考えて複数台のセットを持って行く。

 

大量の機材とあるため。カメラのボディとレンズ、

それぞれをわけてパッキングしてあったのだ。

どうやら、小物や食料や水などのたくさんの荷物にまぎれて、

アシスタントが船着場に置き忘れてきたらしい。

 

無人島のため、電話も通じず、

夕方まで船が来ないので外界との連絡が取れない。

ライフラインを断たれたような心境になった、

 

どう考えてもアシスタントのミス。

スタッフ全員、意識が遠のいて棒立ちしている。

すると、アシスタントは沖に浮かぶ小船を見つけ、

大声でヘルプを叫ぶと海に飛び込み泳いで船まで近づいた。

 

船に乗り込むや漁師にドルを握らせ、

一目散に船着場まで行ってもらう。

幸いレンズの入ったバックは盗まれることもなく

船着場にポツンと置いてあった。

 

彼は無事レンズを抱えて無人島に戻ることができ、

スタッフはなにごともなかったかのように撮影が行われたという。

 

凄い話しだ。

わたしはワクワクして聞いていた。

海に飛び込んだアシスタントの判断は素晴らしい。

 

けれど、その戻りを待ったこの時の友人たちの心境を考えると

ヒヤリとする。

 

一体どんな胸の内だったのだろう。

 

想像力の強いわたしのような妄想タイプは、

人さまの物語に入り込みやすいのだ。

きっと彼らは生きた心地がしなかっただろう。

本当は、撮影どころじゃなかったのではないだろうか。

 

女優さんは待たされて機嫌が悪くなったに違いない。

 

アシスタントが船着場に着けたとしても、

そこでバックが盗まれていたらロケ自体が水の泡なのだ。

 

その裏話を聞いてから、わたしは、

絶対にボディとレンズはワンセットにしようと決めた。

 

形状的には多少かさばってしまうけれど、

レンズを忘れる恐怖を考えたらたいしたことはないじゃないか、と

忘れっぽいわたしは思ったのだった。

 

わたしにSOSの電話をかけてきたルパンじゃなく、次元似の彼は、

ロックグループの日本公演のスチール撮影を終え、

無事に仕事ができたそうだ。

 

2日後、お礼にお寿司を奢ると誘ってくれ

あの時、わたしが女神さまに見えたと告白してくれた。

 

その時撮った一枚が、CDのジャケットカバーに使われている。

 

見るたびにわたしは、クスりとほくそ笑んでしまうのだが

 

もしかしたらそれは、今あなたが見ている写真も

そんな秘密が隠されているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作品集 GENDER MYTHOLOGY の受付はこちらの専用フォームからどうぞ

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です