2015.04-36p










ぷはーっ

 

ひとくち目のビールはどうしてもこうなっちゃうよねー

 

乳白色の半月が猫の目のような夜の2時過ぎに

ベランダの柵越しで足をブラブラさせているYくんにそう言うと、

 

彼は短くなったハイライトを美味しそうに吸いながら

月夜に向かって煙を吐き出した。

 

「メシどうする?」

 

 

肌がとろけるような暑さが過ぎ、

夜の風が頬に気持ちいい。

ベランダに出て白いプラスチックの椅子に腰をおろすと、

闇夜に軋む音が驚くほど響いた。

 

街は、無数の星たちより無言のネオンが瞬いている。

 

 

徹夜明けにYくんの暗室で飲むベルギービールの味が

ほとんどしないのも、甘い香りがないのも

ぜんぶフィルム現像液のお陰だ。

 

最近、月に一度は徹夜をする羽目になっているのは、

Yくんが暗室なるものを作ってしまったからだった。

 

彼は今年のはじめ事務所近くにアパートを借り、

写真現像用の暗室部屋に改造した。

 

わたしは運良く、部屋の掃除の日に

貸してもらえるようになったのだ。

 

Yくんの暗室所は、屋根裏部屋みたいに細くて狭いけれど

すこぶる気楽で、フィルムの現像のように

時間を忘れるにはぴったりな空間だった。

 

 

例えようのない酸っぱい薬液が

夜の時間のすべての匂いや味を奪い、

代わりに視覚と聴覚が異常なくらい敏感にうずく。

 

7時間前から流れているのはYくんが持ってきてくれた

ゲイリー・ピーコックがベースを弾く

キース・ジャレットのアルバムだった。

 

 

飽きずにずっと流していた訳ではなく、

現像に夢中になりすぎて、音など聞こえなかったのだ。

 

「この曲、飽きない?」

Yくんの言葉は少なくてわかりやすい。

 

わたしは首を振って答える。

 

 

「なんだか音が肌にくっついて、区別がつかないくらい離れないのよ」

 

 

「そう。

 

じゃあ、そうしようか」

 

 

タバコを落としベランダ履きで踏みつけると

飲みかけのベルギービールに口を当てた。

 

 

 

 

 

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暗室に長時間篭ると意識が歪んだようになる。

 

 

キース・ジャレットの即興で弾くピアノの旋律が

頭の中でリピートしてゆらゆら肩を沿うように流れてゆく。

 

 

水洗いしたネガを洗濯バサミで軽く止めた時の

わずかな揺れのように肌に長く残る。

 

 

“じゃあ、そうしよう、

ずっと闇夜で揺れていよう。”

 

 

 

Yくんは手すりに腰掛けて軋んだ音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

大学生の頃、写真家のお兄さんを持つ友人の家で、

オリジナルプリントを見せてもらったことがある。

無条件にドキッとした。

 

いままで見てきたモノクロ写真とまるで違う黒の色調、

輝くハイライトのトーン。

思わず、「お兄さん、現像はどうしているのですか?」

と質問していた。

 

当時まだ駆け出しの写真家だった彼は、

呆気にとられたわたしに得意げな笑みをたたえて言った。

 

「ポチャンとつけて洗って乾かすだけだよ」

 

 

そんなはずはない。

 

いままでどうやってもこんな魅力的な色や階調になったことはない。

 

わたしは彼の言うポチャンの、つまり現像液に浸すことの

果てしない可能性を感じた。

 

単にツートーンにしただけではない。

これが本物のモノクローム写真だ。

 

わたしはいままで偽物を見てきてしまったのだ。

衝撃を受けたわたしは、モノクロームの奥深さに

徹底的に溺れたいとさえ思った。

 

 

 

わたしは今までモノクロ写真に関しては

現像液も印画紙も違うので、ラボに一任して自ら手を出さなかった。

 

それに作品というほどのものを撮るタイミングはなかったし、

遊びの延長にカメラを触っていたようなものだった。

 

 

どういうわけか写真の世界に入り、

やっとここ5年くらい、自身の作品については

手で創り出してゆくプロセスにこだわりたいと思うようになり、

今頃になって、作品創りに取り組む愉楽に夢中になっている。

 

特に、モノクロフィルムでの創作を。

 

 

Yくんの現像室には、カラーもモノクロ用も、

現在入手できるすべてのフィルム現像液と印画紙が常備してあるという

植田正治氏が生きていたら、泣いて喜ぶであろう素敵な部屋だった。

 

わたしには1万年早いのかもしれないと感じながら

運のいい自分の環境を楽しむだけでなく、喝を入れている。

 

 

良いプリントを作るためには良いネガをつくらなければならない。

 

被写体と対峙したときの最終的なプリントイメージを考え、

現像方法も想定しながらファインダーを覗く。

 

モノクロームを撮るとき、

途端に世界は色彩を失い

すべての事象が光と影のグラデーションとなって

リアルとアンリアルの狭間で揺らぐ。

 

 

その時間をこころに焼き付けるようにシャッターを切る。

 

昔はこの緊張感が大事だと思っていた。

 

 

いつの間にか、それではガチガチの、

余白のない空気になってしまいそうで

適度にカメラに任せて、その場の気分で撮るようになった。

 

何が写っているのかを楽しみに、

そして、現像の段階で完成に向けてスパートをかける。

 

 

そうやって撮影したフィルムを持って暗室へ向かうドキドキ感は

なにものにも変え難いものがある。

 

 

そうは言っても、大失敗をして泣くこともある。

フィルムの装填ミスで未露光の真っ黒なのがあったり

巻き戻しクランクでフィルムのたるみをとっていても感光していることもあって、

 

それが大事な撮影だとすると、その落ち込み度は

デジタル撮影では考えられないほどのショックになる。

 

 

この時代、現像やプリントまでにこだわって

モノクロフィルムで撮影するということのリスクを思い知らされる。

 

 

まるで恋愛のようだ、とYくんがいつか言っていた。

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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