10年前、卒業校からの依頼で

O.G講義をしたことがある。

 

目の前には165人の17歳たち。

 

2周りも年齢の違う後輩を前に

こんなわたしが写真について語るという

緊張以上のなにものかを強く体感した。

 

壇上前にどれだけ水を飲んでも

極度の緊張で喉がカラカラに乾き

そのうち胃の奥がきゅっと締めつけられた。

 

あの感覚は一体なんだったのかといえば

責任感の質が違うのだと思う。

 

彼ら彼女らにとってわたしの存在よりも

わたしの発するエネルギーや言葉に

無意識レベルで反応するだろう。

まるで地球外生物と初めて逢うようなそんなドキドキ感。

 

わたしのことはどう思われてもいいし

17歳の彼らがどう反応しても構わないが、

今ここで、伝えることの本質にブレがあってはならない。

 

わたしというエネルギー体が発するひとことひとことが

彼らの脳内で翻訳され、深い意識下に降りてゆく。

 

宇宙人に、わたしは地球人です、と

地球を代表して会話しに行く不思議な怖さだ。

 

ひとこと表現が揺れてしまえば

正確に届くかどうかわからない。

 

知らない国の言語の発音を伝える時、

聴こうとしないひとにはどうやったって届かない。

 

後輩という名の、

住む世界が違う17歳と

先輩という名の、写真を撮っているだけのひとりのオンナ。

 

この状況をどうするか?

プレッシャーが大きくなるなか、

わたしは、全て天に任せる事にした。

 

つまり、ぶっつけ本番。

頭に浮かんだ事を、そのまま伝えればいい。

 

事前に考え込んだりせずに、

今までの自分のやってきた事を

そのまま伝えればいいと腹を括った。

 

高校の教師陣には、

彼らの考えや言葉使いがわかるよう

 

あらかじめアンケートをとることも可能だと言われたが

わたしが高校生だったら、

そんなヘタレな大人のことなど

信じないと思ったのでお断りした。

 

彼らと共通用語がない、というのは

距離感を縮めようとする時の言い訳だ。

 

一方的に彼らの領域に踏み込みたいと思うがゆえに

あれこれ下調べして、相手の顔色を伺うような

モテないおっさんが女の子を口説く時の

ピント違いな、脂っこい執着が浮かぶ。

 

わたしにとって抱えたプレッシャーは大きな領域だけれど

「最初」に人になにかを伝えるということは

文明や言葉の起源からしてもかなり興味のあることではないか。

 

講義の内容を伝える前、

わたしは、パリで見たラスコーの壁画を思い出した。

 

あの歴史的壁画を発見した

最初のひとの恍惚感に想いを馳せ

太古から宿る、人間の知恵や伝達について

どんなロマンを見ただろうかと

わたしは感動しきって

土壁の前で立ち尽くしたのだった。

 

あの時の、

初めて触れる未知なる存在を考えると

わたしは

わたし自身で

はじめになにを話したか、を

数年後にきっと蘇らせることが可能だと

自分を信じられたのだった。

 

 

その時、目の前の17歳たちに喋った内容は

現在も変わらずにお伝えしている。

 

年齢や性別が変わったからといって

本質的なことは変わらない。

 

言葉の表現など、

伝え方を工夫するべきかもしれないけれど

 

わたしは敢えて、

165個分の17歳の魂

に話したようにしたいと思っている。

 

相手によって自分の表現を変えるなんて、わたしにはできない。

 

年上の方ばかりだからと言って、

理想とか理念とかを語る

つまらないオバサンになってしまったらわたしも終わりだ。

 

それ以来、どんなメディアに対しても

書くことへ戸惑いが出たら

10年前の初講義に使ったメモの集約を

読むでもなく、じっと見つめるようにしている。

 

初めてだからこそ、

純粋に汲み取った

わたし自身のイデアなのだから。

 

 

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