現像の手を止め、珈琲を一口飲み、席を立つと

本棚からジョージ・バーナード・ショーを一冊取り出し無秩序にページをめくる。

 

アイルランドの作家バーナード・ショーは

演劇を書いていたため視覚的な言葉を多く残していて

わたしがスランプに陥りそうなときに手にとると

起爆剤になる言葉に出逢えることを無意識が知っているようだ。

 

「写真家はデカイ魚みたいなもんだ。何万個も卵を生んで、

そのうちのたった1個が成魚になる。」  byJ・バーナード・ショー

 

 

創る日々は快感だ。

けれど、ふとした瞬間

考えずにやろうとするとよく考えろという声が聞こえ

わたしの感覚はグラグラと海の底でもがきはじめる。

 

バーナード・ショーは「そんなものなのだから、とっととやれ」

と言っているのだろうか。

 

作業の手が止まってしまった原因は自分にある。

 

カラー現像にモノクロームを5割ほど乗算して

オリジナル色を作っているのだが

調子良く美しいコントラストを保てていると機嫌よくしていたら

あるとき、急に色彩に不満がではじめてすべての現像に嫌気がさしてしまうのだ。

 

つまり、考えてしまう。

 

この色で本当に満足なのか?

もっと効率良く仕上げる方法はないか?

 

創作は、考えずにやったほうが良いというひとがいる一方で

アートに限らず、スポーツやビジネスの構築でもよく考えろというひともいる。

 

さて、どちらか。

 

わたしが考えることをやめるとき、

創作のただ中にいるときに

ロジックを当てはめてしまっていると気がついたときだ。

 

 

コンセプトやステートメントに当てはめ、

それを軸に創り出すことは

逆説的にいえば、そこが限界地点でガチガチに固まってしまい、

小さくまとまってしまっていることが多い。

 

そうやって考えつづけることでアートの領域が広がるのであれば

考えることは賛成だけれど、

 

考えることで制限され、

知らずしらず萎縮してしまっているかもしれないと疑いをかけることも

大切な「考え」だと思っている。

 

カラーの分量を何十パーセントにして

モノクロームの混合をどれくらいの分量にすべきか?

 

その後の光散率はどれくらいだろう?

周辺減光率は?

露光パーセントは?

 

 

 

・・・・ダメだ。

 

データ化しようとすればするほど

手が動かなくなり、微妙な色再現もできなくなる。

 

諦めて卵をうむ魚になって

「そういうこと」だと自分を納得させるしかないのか。

 

バーナード・ショーの故郷、アイルランド旅行記の表紙に目を落とすと

本棚の奥にずっと閉じ込められたままの

雄大な大自然の岸壁で釣りをしている人の姿が印刷されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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