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ありがたいことに美味なるものに恵まれたわたしは

自分の味覚を大切にすることが好きだ。

 

それは味だけではなく音や匂いの方が鮮明かもしれない。

 

一日中撮影スタジオにいるスタッフたちは

ランチにはデリバリーを頼むことが多いのだが、

わたしには受け付けられない味ばかりなので

最近はスタジオでもロケ先でも、おにぎりを持って行くことにしている。

 

 

「えー?マメだねえ」と意外そうな顔をされるが、

わたしにとって誰がどうやって作ったのかわからない食べ物ほど

味覚に合わないものはない。

 

 

スタッフたちが美味しそうに撮られたデリバリーのメニューの写真につられて

毎回「ハズレだ」と言って後悔しているのを横目に、

玄米のおにぎり3つだけのわたしは勝ち誇った思いに浸っている。

 

一食一食にあたりハズレがあるだなんて、そんなチョイスこそ無意味だ。

 

コンビニやデリバリーのお弁当しか知らない世代だから

それはそれで良いのかもしれないけれど。

 

 

 

修行時代のスタジオオフィスは周りに大学がたくさんある地域だった。

 

そのおかげで、学生向けのボリュームがあってお値段が安く、

味もレベルが高いお店が密集しているドリームゾーン。

 

 

小さくで謎めいたディープなお店もあって、

仕事が終わるとボスを連れ出してご飯を食べさせてもらっていた。

 

 

ほとんど収入がなかったわたしや同僚が生き延びらえたのは、

もしかしたら、スタジオの環境が大きかったのかもしれない。

 

 

ディープなお店には優れた逸品が隠されているものだ。

 

学生が授業を終えた頃に販売する午後4時ごろ、それらは現れる。

 

20個限定のあんドーナツ、100円チリホットドッグ、

謎に包まれた和食屋さんの特製カレーパン、

回転寿しではひとり2個までの梅シャケおにぎり、

中華屋さんのタピオカアイス、

串カツ屋さんのカツサンド・・・・

 

 

それはそれは魅惑的な熱い戦いが繰り広がられていた。

 

3時40分。

 

「あれ、ヨロシクね」というボスの神のお告げのような声がする。

 

わたしはもうひとりのアシスタントと一緒に3時45分には

お目当てのお店へ並ぶのが仕事となる。

 

 

デパ地下並みにゴージャスなあんドーナツ、揚げたてサクサクなカレーパン、

湯気が立っているツヤツヤおにぎり、厚さ6センチのカツサンド!

 

手作りの味わい、香ばしさ、食感、匂い。

 

どれも捨てがたく美味だった。

 

 

そして桁違いとはこのことだと思うくらい本気で安かった。

 

スタッフ全員の食料ゲットにボスから受け取った千円札はいつも2枚だけだった。

 

 

人数分を抱えてスタジオに戻ると、ピリピリしていた雰囲気が

一瞬で和むのだから、美味なるもののパワーやっぱりは強力だ。

 

 

そんなレベルの高い裏メニューせいで、舌は肥えてゆく。

 

地域の飲食店は少しでも手を抜くとお客さんが並ばなくなる。

 

そうした現象は、腹ペコアシスタントや大学生たちからも相手にされず、

気がつくと閉店していることもあった。

 

 

B級グルメの流行りだったのか。

 

それにしてもインルフエンザ並みの猛威を振るっていた一角だった。

 

 

そういえば、写真をやっていてる人は、

男性でも自分でお料理が好きな人が多い気がする。

 

 

ボスもそうだった。

もともと器用で凝り性なのもあるが、環境的なことが大きいのだろう。

 

お料理も現像作業もどちらも水とシンクを使う。

そして、完成までの段取りと手順が大事だ、という共通点も多い。

 

独自のレシピがキモだということも似て非ではない。

 

ボスは世界中を旅して食しているせいか

本当に美味しいものを知っているのだ。

 

 

彼らのようにいつでも本物を狙い、野生の勘を研ぎ澄ましていると、

自分の欲求に素直になるのかもしれない。

 

スタジオでも良く鍋パーティをしたものだった。

 

はじめは驚いた。

セットだと思っていた業務用の器具はすべてボスの持ち物だったのだ。

 

おでんをするときは、下部がガス台になっていて

材料が混じらずに煮込むことのできるお店で良く見かける四角い専用の鍋を使った。

 

 

スタジオで大量に煮込んで3日ほどおいしそうな湯気をたてているのだ。

 

それはスタッフの徹夜明けを帳消しにするには抜群の威力を発揮した。

 

 

ボスは自ら材料を買い出しするのも好きで、

鍋パーティーのために朝一で市場へ吟味しに出かけた。

 

調味料や出汁の取り方ひとつにも拘り、化学調味料やインスタントは一切使わなかった。

 

だから、スタジオのみんなはとても健康そうだった。

 

心躍るのは食後のデザートだった。

 

これも業務用のソフトクリームマシーンで作った、

特製バニラアイスや季節のフルーツを使ったジェラードが出るのだ。

 

 

クライアントが食品関連の業者が多いことは知っていたが、

ここまでやるスタジオはなかった。

 

鍋パーティーと称した腹ペコ解消会には

まったく関係のない駆け出しの写真家が紛れ込んでいたものだった。

 

 

スタジオは2階建てになっていて、その1階部分がはパーティ会場と化していた。

 

ボスのサービス精神は桁外れだった。

 

彼はいつでも人を喜ばせるのが得意で、誰からも慕われていた。

 

だから、決して大きくはないスタジオには、

いつもでも人が途切れることがなかった。

 

「まるで難民キャンプみたいだ」と言われても

彼はいつも一番隅っこの席で座り、

みなが幸せそうな顔をしているのを

にこにこ笑って見ているだけだった。

 

 

ある寒い朝、わたしはパーティーの準備を手伝おうと2時間早くスタジオに着くと、

ボスはすでに市場で買ってきた新鮮な魚をさばいていた。

 

 

冷蔵庫のように冷えたスタジオの隅で、

お鍋用とお刺身にわけて本格的に包丁を入れている姿がシルエットで見えた。

 

その後ろ姿がみんなを幸せな気分にしてくれているのだと思うと、

わたしは胸が温かくなった。

 

 

撮影以外で、ボスが夢中になっているときの顔を見たのはそのときだけだった。
真っ暗なスタジオの隅で、ひとり魚に包丁を入れる。

 

本当に新鮮な魚は骨と身がピリピリと音をたててきれいに剥がれる。

 

一匹の魚がそれぞれの部位に盛り分けられると

その仕事の美しさにわたしは快感さえ覚えた。

 

 

お鍋の季節だ。

 

早朝のスタジオではあの頃と変わらず

虹色の鱗が床に堕ちて光りを放ち、

魚のさばかれる音が静かに響いているのだろう。

 

 

わたしの美味なるものは、あの時の骨の間から聴こえてくるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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