ヴァニラの暗号
日々の泡, 白黒写実, 随想

ヴァニラの暗号

 

 

 

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月子に呼ばれていつものカフェに行った。

 
蔦の葉が天井まで生い茂る緑色の壁。

 
運ばれてきた淹れ立てのカプチーノは
ミルクの白と蔦の深緑のコントラストが映え、

 

ソーサーに焼きたてのフィナンシェが添えられていた。

 

 

ミルクの泡をスプーンですくい、

焼き菓子の上に乗せてみる。

 
泡が溶けないうちに口に運ぶ。

 

子供のころやってみたかった食べ方をすると

それまで閉じていた感覚が甦るのか、

 

小さな疼きを感じた。

 

 

スチームドミルクのふわふわした白さが

ビルの間に生えていたたんぽぽの穂を想わせる。

 

 

これから仕事だと言う月子の小鹿のような黒目が

オレンジ色の西の空を受けて潤んでいる。

 

 

 

「今回はどんなお菓子?」

「亡くなった人の好きなもの。でもちょっと面白いの」

「へえ、どんな風に?」

「あのね、ジーン・セバーグ。彼女が残した暗号」

「スパイ映画みたいね」

「好きでしょ。一緒に来る?」

 

 

 

 

フードコーディネーターをしている月子との出逢いは

四谷のキッチンスタジオだった。

 

 

文化人の思い出のお菓子をスタジオで再現し、

それをビジュアル化してエッセイをつけ、

出版するという内容の撮影だった。

 

 

わたしは白や水色のバック紙を調整しながら

スタッフから月子先生と呼ばれる

長い黒髪の女性のふわんと甘い雰囲気に包まれていた。

 

 

彼女が歩くたびにバニラエッセンスの香りが舞った。

 

シロップをたっぷりかけた

ふわふわのパンケーキ並みに甘く香り

スタジオにいたスタッフを和ませていた。

 

 

 

彼女は長い黒髪を慣れた雰囲気でゆるやかに結び

唇は意志の強さを感じさせるように形よく引き締まっていた。

 

 

スタジオのすみで絵コンテを手に黙々とテーブルを整える

几帳面そうな姿が印象的だった。

 

 

甘い匂いと共にわたしはすぐに顔と名前を覚えた。

 

 

わたしはしらない場所へ行くと、

作業に集中しているふりをして

周りの人々を観察するのを常としていた。

 

 

ライティングテストをしながら

キッチンで作業している人やテーブルをセットする人、

花を活け全体のバランスを整える人

それぞれの動きや手の表情を見ているのが落ち着くのだ。

 

さまざまな音の洪水の中で

人がおしゃべりをやめて延々と作業を続ける時に発する

集中力というものを集めて可視化できたら

どんなカタチになるだろうか。

 

 

スタジオの隅でそんなどうでもいい事を考えていると

コーディネーターの女性と目があった。

 

 

彼女は切れ長の黒目をまっすぐに向け、

ガラスの耐熱容器を片手に

わたしのところまで急ぎ足で向かってくる。

 

 

 

「フォトグラファーさん、

これ、朝焼いたんですけどいかがですか?

私の得意なサブレ」

 

女性はそう言いながら、ぴったりとしまっているガラスの蓋を開けた。

 

 

オレンジ色のゴムが閉じた口をゆっくり開いたみたいに蓋が離れた。

 

 

容器には、蒼い紫陽花のイラストが入った

紙ナプキンがひいてあった。

 

その上に、甘い香りの焼き菓子がぎっしり並ぶ。

 

 

 

「ありがとうございます。頂きます」

 

わたしは女性にお礼を言い、サブレを一枚つまんだ。

 

 

厚みのあるざっくりとした存在感の

手作りらしい焼き菓子だった。

 

 

四方に縁取りのあるダイヤ型の焼き菓子のカタチは

小さいころ遊んだおもちゃの手鏡に似ていた。

 

 

齧ると、良質なバターの濃厚さが溶けながら

口の中にすっとひろがった歯触りはサクサクとして甘く香り、

本物の味を感じた舌が、覚醒して満たされていくのがわかる。

 

 

最後にほんのり香る檸檬の残り香がわたしの好みだった。

 

柑橘のごくわずかな苦味が

ヴァニラの粒子とまじりながら噛むごとに立ち現れる。

 

わたしはスタジオの隅で、

久々にお菓子に打ちのめされてぼうっと立ち尽くしていた。

 

 

彼女のサブレは、焼き菓子の素朴さの中に

どうしても隠せない熟練した職人の感覚が宿っている。

 

 

一度も食べたことがないのに

どこか懐かしさを感じさせるというのは、

食材を丁寧に扱う人の作り方だと思った。

 

 

口の中で溶けていったサブレの余韻に浸りながら

わたしは、昔遊んだダイヤ型の手鏡で

お母さんごっこをした頃の記憶が

練り込こまれているような気持ちになっていた。

 

 

 

 

彼女はわたしの表情を余裕そうに見ていた。

 

誰もが、センチメンタルに浸ってしまうのだろうか、

この存在感のある味は誰にも負けないという自信があるのだろう。

 

 

「とっても美味しくて、無言になっちゃいますね。」

 

わたしが言うと、彼女はもっとどうぞ、と

ガラス容器をさしだす。

 

 

「ありがとう。でも不思議。

懐かしいような味なんだけど、

 

わたしは子どもの頃、母にこんな手の込んだお菓子を

作ってもらった記憶はなくて。

 

なのにどこかで食べたような手作りの味。

そんな気がします」

 

 

「ええ、そう言って戴けるととても嬉しいです。

懐かしい味を表現するのって興味があって、

それでたどり着いた菱形のサブレなんです」

 

 

バニラエッセンスの甘い微笑みだった。

 

 

「じゃあ大成功ですね。

でも、どうして懐かしく感じるんでしょうか?

記憶を練りこんでるとか?」

 

 

 

「うふふ。そうかもですね。」

 

 

「それ、今度教えてください」

 

わたしは名刺を渡した。

 

「了解です。じゃあ残りのサブレ、

フォトグラファーさんにあげます。

 

本物の珈琲と一緒に味わって

秘密を考えてみてください。」

 

 

月子は名刺を受け取り、

自分の名刺をわたしのジャケットのポケットに入れた。

 

そして、行かなくちゃ、と

先ほどのテーブルセッティングの方まで走っていった。

 

サブレの入ったガラス容器はわたしの手の中にあった。

 

 

 

その日、撮影現場は始終リラックスしていたように感じた。

 

 

 

ヴァニラの微笑みサブレを容器ごと自宅に持ち帰ったわたしは

それから何日か、秘密のダイヤのサブレを1枚1枚、

これ以上ないくらい大切に食べた。

 

 

珈琲豆を挽き、丁寧に淹れたカップ1杯に対し

1枚のサブレを添えて3日間、味わった。

 

 

その間、幸せな檸檬の余韻を感じて過ごすことができた。

 

 

月子の焼き菓子は、フランスで食べる

パン屋のバゲッドのように

バター無しでも食べられる絶対的な至福があった。

 

 

決して、昭和を感じさせる

古めかしい洋菓子ではないのが不思議だ。

 

 

上質な箱に詰めてリボンを結んで

マリーアントワネットに捧げたと言っても

誰もが納得するような完成度のように思えた。

 

 

 

 

その後、どちらからともなく一緒に

フードテーマの企画撮影をするようになった。

 

 

 

今回の仕事は、ジーン・セバーグが住んでいたという

アパートメントに関する取材記事を読んだ

裕福な日本の美術家からの依頼だそうだ。

 

 

その専門誌にはジーン・セバーグが生きていた頃、

彼女の独特の感性で集められたものたちが

一つの有機体になって今も生きているようだと記述されていたらしい。

 

 

パリで彼女が亡くなったあとの写真には

日常使っていたらしい食卓も載っていた。

 

セバーグが食べていたクッキーやパンや焼き菓子、

使っていた食器や飲んでいた紅茶の茶葉も珈琲豆も

事細かく写っていたのだという。

 

 

その再現を今夜するのだ。

 

月子はセバーグの食卓を撮って欲しいとわたしに言う。

 

 

「そうね」

 

返事は決まっていた。

彼女の再現した焼き菓子を、夜中のスタジオで頬張るのも悪くない。

 

 

有名女優だった彼女が、生前なにを誰と食べていたのか、

それがどんな味だったのか

想像するだけではつまらない。

 

 

 

「味って、懐古の暗号よね」と月子が笑った。

 

 

亡くなった後も、その人の佇まいが

あらゆる細部に宿り残り香を放つ。

 

生きた証とは一体なんだろう、という問いを

お菓子で表現するという彼女の活動にわたしは興味が深まるばかりだ。

 

 

果たして、懐古の暗号を創り写すことができるのか、

それともできないのか。

 

わたしたちは、その結果を望んではいないのだという

共犯めいた感覚があった。

 

暗号を解いてそれを残す、

ただそれだけの意味のない活動をしているだけだった。

 

そして、わたしは

そんな無意味な時間に快楽を覚えた。

 

 

 

どんな人でも、生きて息づいていた周囲の空間に

痕跡を残すものだ。

 

 

あの日、

 

子供の頃、父の書斎を訪ねた時に感じた

父という人格に包まれるような思い。

 

はじめて訪れた友人の部屋の机の上の鉛筆の向き。

 

彼女が縫ってくれたワンピースの裾の曲線。

彼のレコードプレイヤーの棚の密度。

 

体重のくぼみを残したあの人の椅子。

 

 

場所には、その人らしさが宿りにじみ出ている。

 

 

配置。角度。羅列。量。温度。色褪せ。歪み。

 

 

公園で野良猫がふざけて転げた後の草むら。

 

朝顔の葉の裏に殘る虫食いの道。

 

 

 

生きものは、生きていた空間に

感化を与えずにはいられないのだろうと想う。

 

 

月子が焼いたサブレが

その後もわたしの中で響き続けるように、

 

ひとの活動自体が周りに及ぼす波紋のようなものが

この世に広がり続け、誰かの中で反響するのだとしたら

 

 

その残された暗号が写ってるのかもしれなくて

 

今夜は、夜中の焼くお菓子たちをテーブルに並べる。

 

 

 

 

 

デブのもと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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