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写真を続けてゆく中で、先人の考え方やご意見を頂けるというのは

とても貴重なことだ。

 

自分の方向性に自信が持てなくなったり、

このままでも良いのだろうかという

不透明さが生まれてくるのは誰でも同じだと思う。

 

肝心なことは、その自分の葛藤に対する意見を誰に訊くべきか?

だと思っている。

 

尊敬する人に訊かなければ意味がない。

 

 

わたしはトップクラスの写真家に聞きたかった。

純粋に、それだけだった。

 

だから、長い間憧れている写真家からしか聞きたくなくて

誰にも相談せずにいた。

 

そして、衝動を抑えきれなくなったわたしは

恐れ多くも狼の群れの中に飛び込んでしまった。

 

 

それは、マグナム・フォト代表の

マーティン・パー氏のセミナーだった。

 

わたしは横浜で行われる彼の写真イベントに参加し、

直接質問ができる機会を手に入れてしまったのだ。

 

報道写真家であるパー氏が、作品創りに対して

どのようなアプローチで撮影のコンセプトを考え、

行動し、演出してゆくのか。

 

最も優れた写真家集団を引きいる彼らの秘話を直接聞けるセミナー。

 

 

この貴重な体験を夢見て、

遠足前の子供のようにわくわくして出かけたわたしは、

横浜に向かう新幹線の中で質問を書いたメモを

何度も読んでいるうちに暗記してしまっていたほどだった。

 

 

会場に到着し、「マーティン・パー講演特別会場」

と書かれたドアを開く。

 

室内は張り詰めた硬い空気が漂い、皆、一様に鋭い眼をしていた。

 

限られた人数で集められた彼の講義。

水準の高さは承知していたはずだった。

 

けれど、入室してそのメンツのレベルの違いに驚いたわたしは、

一瞬帰ろうかと怯んだ。

 

そこにいたのは、名の通った写真作家や、

ジャーナリストビザで世界中で活躍している人ばかりだった。

 

ほとんどが男性で、わたしのような甘っちょろい

フリーランスの写真家はひとりも見当たらない。

 

場違いなところへ来てしまった‥‥

 

わたしはどうしようもない不相応な人種に感じ

緊張のあまり固まってしまいそうだった。

 

狼の群れに迷いこんだ羊の姿が浮かんだ。

 

着席する場所を選んでいると、

視線が集まっているのがわかった。

 

 

普段、同業者に逢うことするらないわたしは

写真家が一室にこもる、という状況を初めて体感していた。

 

沈黙した密室はわたしを容赦なく拒絶し

帰れと言われているような気がしてならなかった。

 

手足が冷たくなった。

わたしの緊張がいっそう身体を固くさせている。

室内に入り込んだ野生が闇の向こうにいるような気配がした。

 

野生の生き物は、怯えてすくんでいるわたしに、

鼻であしらっているかように静かだ。

 

緊張で手のひらだけ妙に汗がでた。

わたしの手の中でくしゃくしゃになった質問のメモ用紙が

汗で湿って小さく丸まっていた。

 

 

セミナー内容の趣旨は、自分の作品のコンセプトを説明し

パー氏にその場で評論を伺えるという貴重なものだった。

このセミナーを知った時、何も考えず申し込んだものの

彼に見て戴けるような作品がないわたしは手ぶらで来ていた。

 

居心地の悪さは最高潮だった。

わたしは宿題を忘れた小学生のように身体を小さくして椅子に座り、

きょろきょろと周りを見ては、不安を紛らわせていた。

この時のわたしは、まるで

カーペットにおしっこをしてしまった犬のような気分だった。

 

 

 

講義がはじまるまで、密室に集まった狼たちを観察する。

 

どこにいても人間の風貌というのは

その人の環境が滲み出るものだ、と思った。

全国から集ったジャーナリストや報道撮影の方が持つ、

独特なオーラが濃密に流れていた。

 

臭覚の優れた猟犬のような雰囲気がある人もいれば、

ストリートスナップを得意とする、すばしっこさが見て取れるタイプ、

音楽や文化に敏感体質なメガネに髭の知的派‥‥

いずれも洞察力の深さが顔に滲み出ていて、

いかにもこの道の専門家に見えた。

 

そして、マーティン・パーに直接作品を講評して貰えるという

貴重な機会を逃さないとばかりに、

大量のプリントが詰まったポートフォリオを大事そうに抱えていた。

 

わたしはまだ終始そわそわと落ち着かなかった。

帰るなら今だ、そう思ってドアの近くに立つ

警備員の青い制服へ視線を投げ、

いつでも立ち上がることができるようにしていた。

 

 

完全にアウェイに来てしまった、

と喉の渇きを感じた時、後ろから声を掛けられた。

 

「僕も持ってきてないですよ、ポートフォリオ」

 

振り向くと、セックス・ピストルズのTシャツを着た

まだ学生のような若い男性だった。

身体を丸めて座っていたわたしが可哀想に映ったのか

僕も一緒ですよ、と笑ってくれた。

 

「僕、春に美大を卒業したんですけど、

まだこの世界でやっていくかどうか決めていないんです。

だって、食っていけるかどうかわからないでしょう」

 

張りのある黒い瞳は言葉とは裏腹に輝いてみえた。

屈託なく話す声がわたしの緊張を解く。

 

「ここにいるみなさんは凄いですね。

やってきたんですよねこれまで。マジ尊敬です」

 

ピストルズの彼の、しゃきっと伸びた背筋は気丈さが伺え、

この集団の中にいてもどこも劣っていない。

 

「ええ、凄いところに来ちゃって、困ってます」

 

わたしは答え、お互いの照れ隠しと

居心地の悪さを確かめるように静かに笑った。

 

「こんなに日本の写真家が集まった場所ってなかなかないですよね」

 

ピストルズくんに言う通りだった。

そもそも写真家という職業は、普段、同業者に接触しない。

スタジオでもロケでも、他の写真家に出逢うことはない。

 

それは当然のごとく、撮影現場に「ひとり」以上必要ないからだ。

 

この一匹狼の環境を自分自身で選ぶと、

孤独がなによりも快適になり

一箇所にとどまらない生き方になるという。

 

わたしはそこまで達観してはいないけれど、

チームワークで仕事をするわりに、写真家という職業は

その場限りの刹那な世界で生きているように想えてならない。

 

一回が完結型の職場をいくつも抱えて放浪しているからだろうか。

 

 

だから、ここに集まった彼らとは

根底に流れる血は似ているはずだ、

そう考え直すことで、わたしは消えそうな自分を

やっとのことで認めることができていた。

 

 

そうしてポートフォリオを持ってきていない共犯者ができたわたしは、

深呼吸をしてなんとか逃げずにいれた。

 

 

ポケットにあったミントキャンディで乾いた喉を潤し、

ピストルズの彼にひとつあげる。

 

その時、彼の手が異常に冷たいのを知ると

わたしの震えがやっとおさまった。

 

 

 

パー氏の講義がはじまると、

わたしをはじめ、一室の全員が息を飲んで聞き入った。

 

彼の思考は、久しく感じたことのなかった

カリスマという存在性を覚えた。

 

彼の定義はあらゆるものからするりと抜け出し、

常に訳のわからない奇妙な謎や問いをかけてくる。

 

世界全体を多面的に捉えて作品を構築するタイプの写真家だと思った。

 

マグナム・フォトの、魔に取り憑かれたような場面を

高度な撮影能力で掴み取り、

確実に作品へ昇華させるシャーマン的な資質。

 

彼の斬新な思考は、写真表現をリードし

写真と現代美術との境界線を軽々と飛び越え

わたしたちの眼の前に降りてきた気がした。

 

 

わたしは、長らく忘れていた優れた人間に

巡りあったときの感動を確実に得ることができた。

 

それは狼たちの檻の中へ迷い込まないと見えない風景だった。

 

感動は、わたしを潤し、至上へ向かう。

 

 

 

 

 

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セミナー中、終始気負いのない笑みを見せ、

参加者の作品を評論する彼の声をよく覚えている。

 

真剣な眼差しでポートフォリをチェックしながらも、

急に思い出したように彼の過去作をスライドで流し

息を殺していた狼たちの欲望をすり抜けた。

 

 

彼自身の宝箱を開けたパー氏は

得意げにオモチャを取り出す少年のようだった。

 

 

マーティン・パー従来のドキュメンタリーや

新作スナップショットといった

枠組みにはおさまり切れない写真たちが

熱を帯びてわたしたちに問いかける。

 

 

世界中の染料を使ったような独特の色使い。

 

それらの作品は、パー氏の写真表現にかかると

圧倒的に強い熱の塊だった。

 

同時に、どこまでもクールでリアルなのだ。

世界は夢のような出来事ではないと語っているようでもあった。

 

 

 

卓越したプリント技術は日本人の手によるものが多いと話す

パー氏の熱意は、この国の次の展開を狙っているように感じた。

 

 

わたしは、マーティン・パーという

異次元から語るシャーマンの声を聴きながら、

羨望と嫉妬に満ちた表情の参加者たちを

会場の最後部の席から見ていた。

 

先ほど声をかけてくれたピストルズくんは

わたしの斜め前に座り、眼差しが光を放っているのがわかる。

 

 

誰もかれも、瞬きを忘れたように凝視していた。

 

講義の後半になり、質問時間がきた。

 

わたしはスカートのポケットから

皺くちゃになったメモ用紙を取り出し

読もうと思ってやめた。

 

わたしが用意していた疑問や言葉は、

シャーマンを迎えた一室の中で

何も意味をなさないのがわかったからだった。

 

わたしの番になったら、どの時頭に浮かんだ言葉を

そのまま吐き出せばいい。

 

 

頭の中が真っ白になった。

背中に流れる冷たい汗を感じた。

けれど、不思議と怖さはなくなっていた。

 

 

 

 

 

ーーー つづく

 

 

 

 

 

“嵐の音に聞き惚れるようにじっと動けない狼たち 〜 No.1” への2件のコメント

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