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パリの滞在を終え日本へ帰る前日

契約アシスタントをしていたボスのスタジオへ向かった。

 

 

日本人の写真美学が好きだという渋好みのボスは、

カラフルで主張の強いフランス人の感覚を拒み、

毎年日本から写真家の卵を研修生として

短期アシスタントとして受け入れていた。

 

彼の元で修行できたことは、わたしにとって誇り以外なにものでもなかった。

 

パリへ立ち寄った際は必ず、アシスタント時代の

マレ地区のスタジオへ顔を出すことにしている。

 

 

 

3月のパリ。

ヴォージュ広場を囲む鉄格子を見上げると

グレイッシュな空色から降りそそぐ、冬の終わりの光が頬をあたためてくれる。

 

その温度がマロニエの枝を銀色に照らし、まるい木漏れ日を落としている。

 

パリの街は復活祭を前に、人々のこころを映したような街のウィンドウが

あたらしい春を謳歌しようとしていた。

 

 

 

スタジオを訪ねると2年後輩にあたる葉山くんがおだやかに向かい入れてくれた。

 

「ciao チャオ」

 

静かな佇まいの彼は、去年逢った頃から痩せたように見えた。

 

 

プレゼントの花束と日本から持ってきた手土産を渡すと

白いテーブルクロスのかかった長テーブルがある部屋へ案内された。

 

美術館で見るようなお皿にのった果物がテーブルの真ん中にあるだけで

すべての無駄を消し去った簡素な、

でも広すぎるくらい広い部屋だった。

 

 

現在、葉山くんはこのスタジオを任されている。

 

「今日はアシスタントたちがロケに行って出払っていているから

ゆっくりしてって」

 

天井の高いスタジオに彼の透明な声だけが響く。

 

春の色が中庭越しのウィンドウから見える中世の洋館は

しんと静まり返っていた。

 

「ボスはいつ帰ってくるかしら?」

 

椅子をすすめられて腰を下ろす。

 

「いつも夕方。それまで待ってみますか」

 

滞在の最終日の静かな午後。

わたしはボスが帰ってくるまで

この静かなスタジオで赤ワインを愉しんで待つことにした。

 

 

スタジオは18世紀の貴族の館を改装して使っている。

 

落ち着いたクリーム色にペイントされた額縁のような扉がいくつも並び、

年代物の壁や柱は改装され、全体のトーンが統一されている。

 

 

フランス様式の目が疲れてしまうような装飾の濃度はなく

絶妙な趣味の良さでエレガントに仕上げられている。

 

これも写真家であり、このスタジオの代表者である

葉山くんのセンスで管理されていた。

 

 

彼は日本人アーティストの理想をすべて持ったわたしたちの星だった。

 

 

 

スタジオのある洋館は、パリの中心部にありながら、

晴れた日はライティングセットの必要がないほど

窓からの光の量も申し分なく

 

天井のシャンデリアがクリーム色の壁に反射して

小川のせせらぎのようなプリズムの揺れを映し出している。

 

 

 

静かだと感じていた室内は、高い天井と漆喰の壁のせいで

音を食べている生き物のようにあらゆる音を吸い込んでいるみたいだった。

 

 

外で救急車のサイレンが鳴っているがここにいると

虫の羽音のように感じた。

 

白い壁にやわらかな自然光の恵みを受け、

街の喧騒から遮断されている。

 

 

つまり、完璧、というスタジオだ。

 

 

「最近はどんな作品を撮っているの?」

 

昼間のワインの香りに酔ってしまいそうで早口で訊くと

葉山くんは胸まで届く長い髪をかきあげてから彫刻のような横顔で言った。

 

 

「終わりのとき、かな。

 

終わりじゃなく、終わったところじゃなく、

その、ちょっと手前の」

 

 

彼の才能はパリで開花した。

現在はボスの右腕としてこの完璧な館の写真家兼、代表者として

パリのメディア関連を一任されている。

 

 

 

日本を飛び出してからずっとヨーロッパを渡り歩いていた彼が

なぜパリに落ち着いたのかは彼もよくわかっていないと言う。

 

フランスに移住してから15年以上経つらしいが、

旅の多い彼にとって暮らす国などどこでも良いのだろうと思った。

 

 

「終わり、というのはさよならとか

なにかがいったん死んで

目の前からなくなってしまうときとか、

最初に戻ること、とかそういうこと?」

 

 

4年前、彼は、日本の震災のドキュメントを記録撮影し

フランスに売り込んで成功した。

 

世界中が3.11という暗号でつながり

共通情報としての日本という極東の島国に注目が集まった頃だった。

 

 

世界は津波や地震を知らない人たちが大勢、どこからともなく来日しビデオを回した。

 

余震はおさまらずメルトダウンが起こった。

 

報道陣は、核汚染や未知数の恐怖をまえに

冷静に取材ができずトンボ帰りが相次いだ。

 

 

ずさんな政治に蓋をしてきた日本の原発事情を理解し

俯瞰して日本を捉えることができたのは、

彼のような海外で永く暮らす日本人だったのではないか。

 

 

日本の美国神話が崩壊するのをずっと以前から予測していた人たちだ。

 

 

わたしは、終わりのとき、という葉山くんの言葉に

彼のかつての作品が蘇ってきた。

 

 

それは、地獄の絵を月夜に写し出した、悲鳴のような写真だった。

 

 

2011年、彼はフランスのドキュメンタリー各賞を総なめにした。

 

世界中でドキュメンタリー展示が開催され、多額の募金を集めた。

一気に知名になり、富を手に入れた。

そして日本の写真家活動をすべて辞めた。

 

 

「さよならとも違うなあ。

いなくなる、のも最初に戻るのもフィットしない。

実を言うとね、僕のなかではここが終わり、

っていうラインがどうもわからないんだ。

 

だからこの曖昧な感覚をもっと尖らせてみようと思ってる。

でも、日本語でいうとなんて言えばいいのか、

いま訊かれてみてはじめて、僕は

自分が撮っている意味の伝え方がわからないってことがわかったよ。」

 

 

長テーブルの向かい側で葉山くんはペンを取り出した。

 

わたしと彼を囲む果実の乗ったお皿を無造作にどかせてスペースを作り、

そばに置いてあった本のページを一枚やぶると、その上にペンを動かした。

 

蒼いブドウの粒がテーブルから落ちて

乾いた音を立てスタジオの床を転がってゆく。

 

この時、長テーブルに座る葉山くんを

最後の晩餐の絵から抜け出てきたキリストみたいだと想った。

 

 

わたしはマグダラのマリアの気分で彼の告白を聞いた。

 

 

彼は大きな円を描きながら言った。

 

「円の描きだしがはじまりだとしたら、

ぐるっとこう描いて、

描き終わりを最初の描きだしの方へ向かわせるよね。」

 

 

ペンは今にも最初の流線へ繋がろうとして

ひとつの弧になろうとする引力にも似た軌道を描いている。

 

 

「でもさ、その手前で、ふっと、交差するのを抵抗しちゃうんだ。

 

月が地球の周りを回るを嫌がっているみたいに、急に巡回をやめて、

ちょっとだけズレたところに移動して

その僅かにずれたところでまた循環してるんだ。

 

最初の円を描くときみたいに。丸く」

 

 

そう言うと今度は8の字を描いて永遠の形にペンを走らせた。

 

彼の言葉は、文章の余白を作るように、少しだけ間をとってゆっくりと進む。

 

 

わたしは、スタジオの3つの窓の高さを仰ぎながら

雨だれのようなリズムで話す彼の声に耳を傾けていた。

 

ぐるぐる動いていたペン先が紙面の上で転がる音が止まった。

 

 

「ここ。わかる? いま、終わったでしょ。

 

ずっと、永遠に終わらないような動きとか

サイクルとか、自転している向きが

ある瞬間に、ぴたって、止まる時。

 

それが僕の撮りたい終わりのとき」

 

 

そう言うとペンを置き、なにかを成し遂げた時のように視線を遠くに置いて

ごくごくと赤ワインを飲み干した。

 

 

「矢印のポイントが切り変わるみたいに?」

 

わたしはペンを取りあげて

横向きに8の字を描きながら下にずらしていった。

 

サングラスの輪郭のようなカタチが何個も羅列してできあがった。

重なった柄はミッドセンチュリーのソファを想わせた。

 

 

「例えばさ、ひとつの映画が終わっても

主人公は映画を見た人の中で生きているじゃない?

 

登場人物は本当は映画の中だけで生きているのに

ストーリーから飛び出してしまって

現実に個人の中で再生されているでしょ。

 

永遠、みたいだけれど、ちょっと違う。

 

別のレールに繋がっていて、止まれなくて

敢えて止まらないようにしていて、

 

うまく言えないけど、そういう感じかなって思った」

 

 

わたしは意味もなく言葉を重ねながら、随分と酔っているのがわかった。

 

クリーム色のスタジオの窓の外も豪奢な扉も

葉山くんの描いた円形と永遠の記号も

輪郭がぼやけて多重露光みたいに見えた。

 

 

「うん。ちょっと似てる」

 

彼のはっきりした声が響いた。

 

終わりのとき、とは

5年前の東北の地だったのかもしれない。

 

 

 

軌道を外してもずっと巡回をつづける惑星のように

あの日の記憶は、わたしたちの体内で

 

永遠に廻りつづけている。

 

 

 

 

続・・・・

 

 

 

 

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