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写真をはじめたのは小学生にあがる前だった。

もちろん、おもちゃのカメラだったが

フィルムを装填してピントと露出はマニュアル操作という

いま思えば本格派な機種だった。

 

 

絵本ばかり読んで家に閉じこもっているわたしに

父が与えてくれた宝物のような黒い四角。

 

 

おもちゃのカメラはシャッターは機械式で電池を入れず

ぽしゃん、と押すだけで映る原始的な仕組みだった。

 

 

レンズからの光をフィルムに当てるだけなので

電池がなくても写真は撮れる。

 

 

とはいえ、室内の薄暗いシーンでは

適当にシャッターを切っていたらすぐにフィルムが無くなってしまう。

 

 

 

幼いわたしは光読みなどできない。
何度か露光不足で真っ黒な写真しか撮れていないことがあった。

その時のがっかり度と言えば相当なものだった。

 

 

 

何日もかけて撮り集めた「宝物」のような時間を

一瞬にして閉じ込めたつもりでワクワクしていたのに

すべてが闇に葬られたみたいに淋しく感じたのだ。

と同意に、撮りたいイメージと露出を決めなければ

こんな悲しい真っ黒な気持ちになり

写真もわたしの思い出も簡単に失敗してしまうのだと知った。

 

 

 

デジタルカメラは撮ったその場で写真を確認でき

失敗してもすぐにリカバリーできる。

 

 

最近では高感度でも高画質なので
暗い室内でもきれいに写せるし、夜景もこわくない。

 

 

誰でも気軽に写真撮影が楽しめる便利な時代になった。

 

そのせいか「光」に対して

無頓着になってきているように感じる。

 

 

 

ボスのスタジオでアシスタントをしていた頃

雑誌の取材を受けている先輩が

作品づくりについて話しているところを見たことがあった。

 

 

未熟そのものだったわたしは
ヨーロッパ帰りの当時の先輩たちが神々しい存在だった。

 

 

「ボクは、光を感じなければシャッターは切らない」

 

インタビューで先輩が放った

その声の真剣さが心に響いた。

 

 

「どんなに絵になる被写体やシーンに出合ったとしても、

光が魅力的でなければ

撮影してもその写真を使うことがないからね」

 

 

 

 

わたしはある写真集との出合いがきっかけで

光の大切さに目覚めた。

 

高校生のときだった。

 

それまでは気にしていたのは撮りたい対象とその時の光ばかりで
光の当たり方、光の強さや硬さといった
光の質にまで意識を向けることはほとんどなかった。

 

 

先輩の言葉は、そのときのことを思い出させてくれる

きっかけとなったのだった。

 

 

それからは写真展にもたくさん足を運ぶようになった。

 

あらためて感じたのは、心に響いたり印象に残る写真は

どれも魅力的な光で描かれているということだ。

当たり前のことだけれど、この感覚がずっとわからないでいて

劣等感を密かに持っていたのだった。

 

 

美術の粋に達している巨匠の作品は特に、

写真を撮ることが大変だった時代の写真家たちの

光に対するこだわりを強く感じて涙が出ることもある。

 

 

 

 

よく訊かれる質問のひとつ

「写真表現でもっとも大切にしていることは何か?」

の答えはいつも

「光に対してもっと敏感になること」だと伝えるようにしている。

 

 

ただバランスよく上手に切り取るだけでなく、

そこにある光が印象的であるかどうかを大切にしたい。

 

 

被写体やシーンの魅力だけ引っ張られ

安易にシャッターを切るのではなく

自分の意思で「光で描く」ことを意識して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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