IDEAと視覚
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IDEAと視覚

 

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人は、自分が興味を感じるものに視線を向ける。

 

 

これは、現実のどのようなシーンに対しても

これまで目を向けてきたときの記憶が

その度に蓄積されていることを意味する。

 

 

視線を惹きつける主な要因としての「視覚の重要性」は

言い換えれば、「事象の引力」のようなもの。

 

つまり、わたしたちが視ている世界には、

視覚が引きつけられる対象が存在していることを

無意識で認めているのだ。

 

 

そして、この論理は、写真をどのように見せるのかを決める際に

とても重要な機能にもなってくる。

 

 

わたしが日々伝えている「構図と現象」は見る人を引きつける状況でもあるが、

 

それ以外に重要な要素として、人がその写真に惹きつけられるのは

 

被写体からさらなる情報が期待でき

その被写体が見る人の感情や欲望に訴えかけることを

脳が経験的に知っているということを言っているつもりだ。

 

 

以前、ポートレイト論の中で

被写体の特に、目と口は、

必ず視線を引きつける要素だと書いたことがあった。

 

 

これは、相手の目と口を見ることで

その人が次にどんな反応をするのかを無意識に判断しているからであり

 

神経系統では、人間の脳には顔を認識する

特定の部位があることが科学的に明らかにされているのだという。

 

 

また、手や指先も

 

視線の引力が強く働く部位だということも忘れてはいけない。

 

 

顔と手に関しては、動物的本能や潜在意識が「危険」を察知して

素早く行動するために備わった能力だ。

 

 

それゆえに視覚的に重要な役割だと考えられている。

 

わたしは指先の動きには特に敏感だ。

 

 

人の手や指に視線が行くし、実際よく観察している。

 

それは、フェティシズムを持っていると言っても過言ではないほどに。

 

 

望みが叶うならば、その人の指先の動きで、さらに奥深い感情や

人間形成が覗き込めると嬉しいのだが、そうもいかないようだ。

 

 

さらに最近、街行く人々を見ていると

 

手や指先の動きが

皆、同じような動きになっていることに少しばかり幻滅している。

 

 

現代人は「危険」を察知するのが鈍感になっているのだろうか。

 

 

それとも、手や指先のように

本来、攻撃をし

倒し、殴り、叩きつぶし、開き、こじ開け

 

または、撫で、愛撫し、感じることに対して

感度を低くしようとしているのだろうか。

 

 

撫で、愛撫し、感じることに敏感である必要性を感じ得ていないということなのか。

 

 

 

もし、そうならば

未来を担うアーティストたちだけは絶対的に否定してほしい。

 

 

写真を撮る前に、我々はまず

 

物事に垂直に触れ、深く考え、驚き、肌で感じてこそ

 

より深いレベルの境地を目指してゆける。

 

 

そこにイデアを視ていなければ

 

リアルな創作活動から遠のいてしまいそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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