I’m IMAGE.
写真論, 抽象風景, 白黒写実

I’m IMAGE.

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ある人が言った。

 

 

 

「あなたの写真を見ていると、

まるで早朝の神社に足を踏み入れた時みたいに

背筋がゾワっとして

冷たい空気が頬を撫でるみたい」

 

 

そんなイメージがすると言われ

「写真」は、きっと悦んでいるだろうとわたしは思った。

 

 

何の疑いもなく、本当にそう思いながら

 

果たして「写真が悦ぶ」などということが

あるのかどうか、冷静に振り返ってみる。

 

 

答えなどどこにもない。

 

けれど、

わたしたちの身の回り全ての物事には

存在している数だけ

宿るなにかがあるとしたら

 

写真に写り込んだ事象たちにも

波動として伝わるものがあるはずだ。

 

 

その人はつづけて言った。

 

 

たとえば、

空気がクリアに澄んだ境内を歩いた日のことや

 

切れ味のいいナイフでカットした

果物の切り口みたいにシャープで瑞々しい断面を想い起こす。

 

見る見る間にこぼれ落ちそうに不安定で

その緊張感がまたゾクっとさせてくれて

 

カラーでもモノクロームでも

イメージは暗いのに

 

なぜだか、どうしても見てしまう……

 

 

 

その声を聞き、目の前の写真たちは確かに悦んでいる、

 

と撮り手のわたしが感じるのだから

難しいことは言わず、そのようにしておこう。

 

 

 

こんな時、言葉は無力だ。

 

 

わたしたちは強く引き寄せられるなにか、

圧倒的な魅力を持つ存在を前に

その象徴となるものは

言語化することが難しいことを知っている。

 

 

さらに、その背くことのできない魅力とは、

 

安らかで心穏やかなものばかりではなく

 

むしろ、最も危険な領域にあることも気づいている。

 

 

だからこそ惹かれるものが誰にでもある。

 

 

 

この広い世界の中で

素晴らしく魅力的だけれど危険なものと

魅力を感じないけれど安全なもの前にして、

 

わたしのアンテナはどちらにも迷いながら

大きく振れ、どちらに偏ることはなく

 

静かに響いてくる心の声にしたがう。

 

 

ゼロか、無限、

くらいギリギリの選択をするその時こそ

本当の物事が見えてくると信じているからだ。

 

 

 

だとすれば、

 

それぞれの見え方で推敲し、意識し、哲学し、

ときどきひっくり返って

 

 

いまの、その思考の、凝り固まってしまった

その境界線を越えていけばよいのだ。

 

 

 

 

そんな風に想いながら

 

たまにはナイフを隠して

 

次のテーマへ続くイメージに想いを馳せている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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