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グレーのパンツスーツの裾がじっとりと濡れてきた。

「しまった」と思った。

 

ホテルのロビーを出たあと、突然、雨が降り出し

大通りでタクシーを拾おうと右手をあげ一歩前に出た途端、

勢いよく走り去る車から水たまりの飛沫を受けてしまったのだった。

 

その泥水がパンツの裾に染みてきた。

 

 

わたしはタクシーの中でハンカチを取り出し、

濡れた部分がシミにならないよう急いで生地を叩き水分を拭き取った。

けれど、すでに黒々とした泥水の跡がにじんでしまっていた。

 

ダークグレーの生地は濡れるとカラスのような鈍い黒になる。

 

わたしは、冷たくなってゆくパンツの裾を見ながら

暗い気持ちで次のスタジオへ向かった。

 

 

撮影の打ち合わせを終えると、いつものように事務所でコーヒーを勧められた。

わたしは、これからもう一軒行かなくてはと遠巻きに断り、

玄関まで上がらずそそくさと別れた。

 

靴を脱いで汚れた服装を見られたくなかった。

 

 

 

来週もホテルのロビーで新規の顔合わせがあり、スーツを着なくてはならない。

 

なのに、サイズの合うボトムはこれしかなかった。

 

 

急いで買いに行ってもわたしの探しているサイズが手に入るとは限らない。

 

大切に着ていた一着がだめになってしまったと、とても悲しかった。

 

 

もう、ずいぶん前のことなのに、

あの時の足元の冷たさと切なさは忘れられない。

 

わたしはずっと自分に似合うサイズのパンツに悩まされてきたのだった。

 

 

 

 

写真撮影の仕事はスカート姿ではしゃがむことができない。

だから公の場では必ずパンツスーツを着用していた。

 

ちょうど年末前で成人式の前撮りの予約を受けていた。

 

クライアントの晴れの記念を残すのには、

それ相当の服装をするのが礼儀というもの。

 

撮影後にラウンジでコーヒーを飲みながら

優雅な気持ちで会話を楽しむときもある。

 

そんなクライアントと過ごすことを躊躇しないように、

ただ動きやすいというだけのファッションは自分の中で禁じていた。

 

高級ホテルのロビーをウォーキングシューズではなくパンプス姿で颯爽と歩いていたい。

 

 

だから、わたしは、独立した間もない頃からずっと

どんなシーンにでも対応できるようにパンツスーツにはこだわって揃えていた。

 

大きな機材を肩に抱え、不自然な姿勢がつづく仕事が多かった。

ヘルニアになったこともある。

 

下腹部に痛みを感じても我慢をしていたある日、

検査をしたら腫瘍が見つかった。

3年前の冷たい雨の降る冬だった。

 

 

 

すぐに摘出手術をした。

それ以来、身体が冷えないようにとお腹をかばうよう生活していた。

 

出歩くことも少なくなり、気がつくと体重が増え体型が変わってしまっていた。

ファッションにはそれが如実に現れた。

 

 

昔からカッティングの綺麗な洋服が好きなわたしはピンチだった。

 

これまで揃えたデザインを重視したスーツを着ていると、

ウェストの締めつけが以前より違和感を感じるようになり

脚全体がむくみやすく、ずっと座っていると血の気が引くようになった。

 

 

投薬の影響もあったのか、体重は増加しつづけ、

ワンサイズ大きくないとボトム類が履けなくなってしまった。

 

窮屈さを我慢して、いつものパンツスーツを着て仕事をした日、

帰宅したら太ももとウェストに青い痣のような跡ができていた。

うっ血していたのだ。

 

 

シャープな印象のデザインは、もう着れなくなるのか・・・

そう考えるとわたしの楽しみを奪われてしまったようで途端に悲しくなった。

 

 

 

それでも、諦めの悪いわたしはデパートのセミオーダーでパンツを誂えた。

 

ジャケットは買えば間に合ったので、問題はボトムだった。

 

自分をリフレッシュさせる時の原動力として、

ファッションの力と言うものは大きい。

 

わたしは、気持ちを新たに復帰したかった。

 

そのためにも、体型が変わっても気に入った素材の、

動きやすくて身体に負担のないパンツが欲しかった。

それでいて、フォーマルな場でも立ち振る舞える女性らしいボトムライン。

 

 

細かなサイズを測って出来上がりを心待ちにしたオーダーパンツは、

わたしの期待を裏切って、フォーマルには程遠い無骨なラインだった。

がっかりして、一度も履いたことがない。

 

 

それからずっと、仕事で使えるフォーマルなパンツ探しには苦戦してきた。

だが、お直しを繰り返しても理想にはほど遠かった。

 

わたしは、着心地やデザイン性をまったく度外視しても

動きやすく不恰好なパンツに下半身を合わせるか、

許せる範囲のデザインのボトムに窮屈な思いを我慢するしかなかった。

 

 

長時間椅子に座ったままのスタジオ現像作業は、

ウェストから腰にかけて生地が引きつっているのがわかる。

 

帰ったらまた脚が青くうっ血しているのかと思うと落ち着かなかった。

 

きらびやかな席で、中腰でカメラを構えるていると、

背中からシャツがめくれ上がり、

タイミングが悪いと下着が見えていることもあって

何度も恥ずかしい思いをした。

 

いつだったか、血迷って“ミセス専用楽々パンツ”を通販で買ってみた時には、

たしかにウェストはゴムで伸びて楽かもしれないが、裾丈が異常に短くて萎えた。

 

そのほか、ウェエストがゴムの形状のストレッチパンツをいくつか購入してみたが、

背の高いわたしにはくるぶしより短い丈になってしまい、

さらには椅子に腰掛けると膝が出てしまう無様さが目立ち

結局、一度も出番がなく、すべてパジャマになった。

 

 

買っては気に入らず、サイズが合わないということを繰り返し、

わたしは理想のボトム探しにすっかり疲れてしまった。

 

身体を無理に締めつけたり、下半身を冷やしたくなければ

不恰好さは仕方がないのか。

 

もう、無条件でファッションを楽しんでいた若い頃のようにはいかない、

ということなのだろう。

 

わたしは、着心地がよくデザインも優れたパンツというのは

もはや存在しないのだと諦めていた。

 

 

ところが、1年ほど前だろうか、

ある女性写真家がご自身のサイトで、

オーダーメイドパンツを個人で営んでいる女性を紹介していた。

 

 

その女性は店舗を持たず、年に数回だけ「バギーパンツ」という

ワイドなデザインのパンツの受注会をしているのだそうだ。

 

フレアパンツの女性らしいボトムのシルエットが脳裏に浮かんだ。

 

わたしは半身半疑でその女性の営むオーダーメイドバギーパンツの

会員サイトを覗いてみた。

 

わたしと同じように、体型に合うパンツがない悩みを持ち続けていた人が、

そこで誂えたパンツで悩みが解消されたという話も出ていた。

 

会員サイトでは、ヨーロッパで買い付けてきた1点ものの生地やアンティークのボタン、

デザイナーの女性がご自宅のアトリエでミシンを踏む姿が見ることができた。

 

これならいいかもしれない、と期待が膨らんだ。

 

店舗を持たず、バギーパンツしか扱っていないという

彼女こだわりようも気に入ってしまった。

 

オーナーデザイナーの女性は若い頃、パリの服飾学校で修行を積んだそうだ。

 

モンマルトルの生地屋街の坂道を歩いているチャーミングな彼女の姿が思い浮かんだ。

 

 

しかし、今までの倍以上もする値の張るオーダーパンツに迷いはあった。

 

それでも、来月に受注会があると知り、東京出張の際に

この店のオーダー会に立ち寄ってみることにした。

 

 

おずおずと彼女の前に立って採寸をしてもらう。

 

手際よくメジャーで測りながら、オーナーデザイナーの女性は言った。

 

「働く女性はこれ以上我慢しなくていいんですよ。

オシャレするのにリラックスできないなんてナンセンスだもの」

 

 

デザインと生地を選び、縫製のイメージを見せてもらいながら、

わたしは子どもの頃、ずっと母のお手製の服を着ていたことを思い出していた。

 

ワンピースやブラウス、コーディロイのつなぎのパンツ・・・

わたしに似合う生地やプリントや色を考えながら、

スケッチブックいっぱいに着てみたいデザインを描くのが大好きだった。

 

中学へ上がる頃になると母の作った洋服はなんとなく気恥ずかしく

友達と違うデザインや凝った生地にも抵抗感が芽生えた。

 

そして全身真っ黒のブランドブームに流され、

まったく着なくなってしまったのだ。

 

あんなにも着心地がよくて、贅沢な洋服は世界中どこを探してもなかったのに。

 

わたしのためだけに創られるという、あの至福の時間が蘇った。

 

 

その後、仮縫いという工程を経て、

やっと到着したオーダーメイドパンツの履き心地の良さといったら、

ウェストからヒップをやさしく包みこんでくれ、

その軽さに顔がニヤついてしまうくらいだった。

 

なにより、しゃがんでも腰が疲れない。

椅子に腰かければ、履いているのが不思議なほど違和感がなく

バギーパンツ特有のたっぷりと使った生地が

ゴージャスで女性らしいボトムラインを作ってくれている。

 

 

長時間座っていてもリラックスした感触は変わらない。

膝も出ないし、どんなに動いても着崩れない。

 

わたしは、バギーパンツを履いた自分の身体が

生地のなかで伸び伸びと喜んでいるのがわかった。

 

これが本物のオーダーメイドパンツだと感動した。

 

到着したその日、わたしはなにも用事はないのにデパートへ行き

一日中歩いて回った。

 

 

黒のストレッチ生地のオーソドックスな、

バギーパンツらしいデザインだった。

 

わたしのわがままなリクエストにはこの一本がふさわしいと

好奇心の強そうなクルクルとした瞳で説明されて決めた。

 

このバギーパンツなら、値段以上の価値があると思い、

すぐに2本目をオーダーした。

 

 

「働く女性のパンツが欲しいんです。

動きやすく、しゃがんでも型崩れしなくて、

大きなポケットに小物がサクッと入れられて。

でもワークパンツじゃなく、ホテルの会場や

フォーマルな場所へ出向いても様になる、エレガントなラインの」

 

わたしが欲望のままそう言うと、

オーナーの彼女は、たくさんの生地の中からイタリア製のツィードで

履くとストンと柔らかい生地を選んでくれた。

 

彼女が創るボトムラインを守るオーダーパンツは、

日々、わたしたちの生活を、

女性たちが現代社会で生きることを支えている。

 

だから、その人の生き方が現れる職業によっても

選ぶデザインやリクエストがあるのだろう。

 

彼女はそれをいち早く察知してくれた。

 

 

一目で気に入ったわたしは、その年、

フランスへ視察へ行く際にそのバギーパンツを着てゆくことに決めた。

 

長い間、たくさんの女性の悩みを解決してきた

職人ならではの丁寧な縫製。

そして、初めてわたしが納得したオーダーパンツ。

 

自分の仕事に自信と誇りを持つ職人気質のデザイナーに、

ようやく出逢えたと、嬉しかった。

 

わたしは、ずいぶん無理をしてしまった術後のお腹回りを

そっと手のひらで撫でた。

 

長い間、厄介で、ないがしろにしていた自分の下半身を

これからは大切に扱おうと思った。

 

 

待ち焦がれていたフォトグラファーパンツが届き、

パリの街を歩いた時には幸せな気分だった。

 

ランチミーティングで星付きレストランへ訪れる時には

ツィードのバギーパンツとタートルネックを合わせ、

伯母の形見のパールのネックレスだけという

シンプルでパリっぽい組み合わせをしてクライアントたちに大いに褒められ、

キラキラとした忘れられないひとときとなった。

 

 

なにより、わたしは、術後の検査や投薬生活といった

気分が下がってしまう日々のただなかであっても、

おしゃれはできることを知って嬉しかった。

 

 

それから、シーズンごとの受注会へ出かけ、

好きな生地を選び、違うデザインを買い足して

わたしだけのバギーパンツを揃えていった。

 

 

それまでの無闇に締めつける窮屈なボトムはすべて始末した。

 

 

以来、わたしはそのオーダーメイドのお店の虜になっている。

 

 

 

 

 

 

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MBaggy 2016 受注・生地販売会 

in Tokyo

受注会開催:4月2日(土)3日(日)12時〜18時

場所: 東京都 ギャラリーKAI

※個人宅ギャラリーになります。

住所は非公開ですのでご予約時にお知らせいたします。

ギャラリーKAI http://blog.gallerykai.com/?day=20160318

オーダー会のご予約はこちらから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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