不思議な夢を見た夜があった。

 

 

リアルで強烈な印象なのに、目を覚ましたあと

まったく何も覚えていない。

 

 

まるでその時間だけ脳の記憶装置がクラッシュしてしまったみたいに

夢を見た、という感覚だけが深く残っている。

 

 

その頃わたしは、カリブ海の島を転々としていた。

 

ジャマイカでフルーツジュース売りをしている青年が

フランス語なまりの言葉を話すので興味を示すと、ハイチの出身だと言う。

 
その屈託のない笑顔に惹かれて、ハイチへ行ってみることにした。

 

空港から小型機を使い、イスパニョーラ島にある

ハイチ共和国へ足を踏み入れたわたしは、

予約をしなくても泊まれる宿を探し3日だけ滞在することにした。

 

 

ハイチの首都、ポルトープランスは朝から人でごった返していた。

 

荷台で何倍にも膨れ上がったバイクがのろのろと移動し、

埃っぽい道路の端で物々交換のような商売をする女が座っている。

 

 

露店はなぜか世界中、年齢不詳だ。

 

 

ハイチは黒人が建国した世界初の共和国とあって、

人々は貧しくとも強い眼をしていた。

 

 

アローと声をかけると、真っ白い歯を見せて

シャイな笑みを返してくれる村の子供たちが走ってくる。

 

 

カメラを取り出すと珍しそうに眼を輝かせ

わたしは、いつか訪れた西アフリカを思い出していた。

 

 

そんな純粋な彼らが信じている神さまがあった。

 

ヴードゥー教と呼ばれる原始的なロウ(神々)だ。

 

それらの化身は、ヒト型の木彫りの人形をして

村のいたるところで見ることができた。

 

 

多神教のヴードゥーは、化身の大きさもまちまちで

動物の角や頭蓋骨も混ざっていた。

 

 

それらは、鮮やかな腰巻きを売っているおばさんの横に、

砂浜に建つ小さな家の入り口に、

電気も通らない屋台の床の隅に、

気がつくと、どこからか迷い込んだ野良猫みたいに

ごろりと眼の前に横たわっていた。

 

 

 

ハイチでは黒魔術や精霊の存在が

当たり前のように存在する世界だった。

 

 

わたしが泊まった宿は、シタデルという城跡がある山の近くだった。

 

フランス語の音に似たハイチ・クオレール語を話す宿のご主人が

食堂の角にある小さな神棚に鮮やかな花を活けていた。

 

 

わたしは、ヴードゥーの儀礼を見てみたい、と

英語とフランス語のごちゃ混ぜな会話で相談してみた。

 

 

すると、運良くその日の夜に近くの村で行われているから

乗合の軽トラを手配してくれるという。

 

 

 

タプタプと呼ばれる乗合いの軽トラックは夜の10時にやってきた。

 

宿のご主人が運転手や助手席の男になにか話している。

真っ暗な山の村で、彼らの眼の輝きだけがギラリと浮き出ていた。

 

わたしは、言われるままにその荷台にまたがると、

数十分、ほとんどなにも見えない夜の道に揺られ

村の集会場のような場所にたどり着いた。

 

 

わたしは片手で隠しながらポケットから小型カメラを握った。

 

すると、背後から「ノー」と強い声で止められ

撮影を諦めざるを得なかった。

 

 

広場には、熱気に包まれた夜を群衆が取り囲み、

その円周の真ん中で白眼をむいた少年が

取り憑かれたかのようにでんぐり返しを延々と繰り返していた。

 

 

松明から赤い火の粉が飛び、

肌にねっとりと吸いつく島の空気がわたしを包んだ。

 

 

少年を取り囲んだ人々と、その輪の外で立っている人々が

低い声でリズムを取り、声にして身体を揺らしていた。

 

 

ひとりの男は完全な陶酔状態で激しく太鼓を叩きながら、

見たことのない色の花を咬んでいる。

 

 

やがて白い布袋が中央に引きずり出され、

持っていた男たちが手を放すと、

中から死んだ山羊がどさっと音を立てて転がった。

 

 

硬直した山羊めがけてよろよろと近づいてきた女が、

その白い屍体に額をつけ、細かく肩を震わせている。

 

 

女の後ろ姿は、泣いているのか祈っているのか

そのどちらにも見えた。

 

 

中央では砂だらけになりながら前後のでんぐり返しを続ける少年がいる。

 

 

わたしは、眼の前の情景を機械的にフィルムに焼き付けるように

無心で見ていた。

 

 

それは自分の眼で観て感じたままでいるには

あまりにも奇妙な、どろりとゆがんだ光景だった。

 

 

現実の世界として捉えることが難しい。

 

昼間は快活で明るかったハイチの印象は

不透明な薄い膜がかかったように

全く別のなにかだったように思えた。

 

 

闇を赤く燃やす松明を掲げた女が

人々のいる広場に飛び込み、短い祈りを叫んでいる。

 

 

ぼんやりと立ちすくむわたしの目の前を

極彩色に着飾った踊り子たちが激しく廻りながら、

線香花火のように通り過ぎてゆく。

 

 

ふと見渡すと前転した格好のまま少年が気絶している。

 

顔を白く塗った男色の踊り子が、

ぐったりと動かなくなった少年の背後へ襲いかかり、

動物の交尾のような仕草をして騒いでいる。

 

 

山羊に額をつけていた女が呪文を止め

ゆらゆらと立ち上がると、ヤシの実の入れ物から

アルコールの匂いのする液体を手ですくって

 

座っていた群衆の頭にかけはじめたところまでは記憶に残っている。

 

 

気がつくとわたしはタプタプの荷台に腰を下ろし、

夜の砂利道を疾走していた。

 

 

耳には太鼓の音が反響して鳴り止みそうもなく

巨大な怪物の体内を走り抜けているかのような感覚がした。

 

 

いつの間にか宿に戻り、疲れ果てていたわたしは、

デッキシューズを履いたままベッドに突っ伏し朝を迎えた。

 

 

この時だ。

 

 

リアルなのに想い出せない夢を見たのは。

 

 

それは、小さな劇場で何編もにわけて上映された

ショートフィルムのように短く、

そして妙にはっきりとした輪郭を持っていた。

 

 

わたしは霊感もないし、信じている神さまも特にいない。

 

スピチリュアルや精神世界といった言葉とも

ほとんどの関係のない人生を送っていると思っている。

 

 

けれど、あの晩、わたしが見たのは

現実の延長上にある夢でもなければ、

悪夢に追われたといった嫌な感覚でもない、

 

匂いも音も風の温度も自分の鼓動さえ自覚できる

はっきりした気配のある世界だった。

 

 

どういうわけか、それが何であるか

未だに想い出せなくてはがゆいのだけれど、

 

眼にした現実でもなく、いつも見ている夢とも違う、

特別な意識に入り込んでいたという

忘れがたい感覚だけを肌が覚えている。

 

 

眠っているあいだにわたしの中で起き出した

コントロール不可能なその特別な意識は、

 

覚醒した瞬間、つるりとどこかに滑り落ちていなくなってしまった。

 

 

脈略のない断片だけが残る通常の夢であればよかったのに、

そう想っても2度と浮かび上がって来ないほど

深く落ちてしまったようだ。

 

 
あの出来事はいったい何だったのか。

 

 

 

夢から覚め、意識が覚めるというのはどういうことなのか。

 

 
今でも時おり考えては、迷宮のドライブから戻れなくなりそうになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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