若い頃、ひとはなんのために生きているのだろう?
 
と漠然と考えたことがあった。

 

その時は至極真剣で
 
さりとて言いわけじみたことばかり考え
 
思考迷路から逃れられず
 
ぐるぐると一人遊びをしていたに過ぎないのだけれど。

 
 
たとえば、ひとの為
 
世のためにだろうか、とか
 
幸せをもとめているからだとか
 
生き物としての使命を得るためだとか・・・
 
どれも的を得ているようで全く見当違いな独りよがりだった。
 
 

わたし、という限界のなかで作られた小さな思考が
 
ぐるぐる渦まいて

 
出口のないマーブル模様で彷徨っていた。

 

 

それでも何となくそのとき、その場

 
その空間にフィットした答えを探して

 
わたしは、一生懸命視て感じていたはずだ。

 

 

 

先日、箱根のMOA美術館訪れたとき

 
写真家のS氏とばったりお逢いした。

 

現在、ご自身の写真集を制作されるとのことで

 
伊豆の山奥にある印刷所に

 
見学に連れて行っていただけることになった。

 

 
相模灘を見渡す高台に倉庫はあった。

 
巨大な空間に印刷機が2台の贅沢な印刷所だった。

 
以前、わたしはS氏の初校を拝見したこともあり

 
その時のことをお話をさせて戴いた。

 

 
嫉妬するほど美しいプリントとはこのことだ、と思ったこと。

 
好みのグレー色の強さ

 
印刷版の焼き込み、紙の選定など話は尽きない。

 
今回はどんな印刷に出逢えるのか

 
緊張して手に汗が滲んだ。

 
印刷機は三菱製「DAIYA」の5色機だった。

 

初体験だ。

 

S氏の作品は全てモノクローム

 
120ページ、限定100冊。

 

5色機で2色を刷るのだから

 
相当の贅を尽くしていた。

 
わたしは普段ラボに出すときは

 
KOMORIの印刷機か

 
HEIDELの印刷機を使わせていただいている。

 
箱根の山頂の秘密基地のような倉庫で

 
超ハイテク高級機の機械を目の前にし

 
その重厚感や存在に圧倒されてしまった。

 

決定的に音が違う。

 

 
先端技術の音楽は、初めて聴いた音なのに

 
懐かしさを感じる温度がある。

 

緊張のとれたわたしはただただ立ち尽くし

 
印刷機の前で顔料インクの匂いに浸っていた。

 

一台目の刷だしが上がっていた。

 

S氏が「色気はどうですか?」と聞く。

 
「ええ」と返すと

 
「墨の色が強いと思いますね」

 
とおっしゃった。

 
「もっとね、色気がないと。

 
しっとりと粘り気も少しあって

 
肌に滑るようなグレートーンがいい」

 
「そうですね」

 

 

シュルルルーシュルルルーシュルルルー

 
 

真っ白な紙飛行機が美しい空を舞うような音が

 
巨大倉庫の中で響いた。

 

春の陽を反射した相模湾の海を眺めながら

 
ベンチに座って缶コーヒーを飲んだ。

 

驚くことに、ハイテク高級機は

 
1日で表面も裏面も印刷を終えた。

 
色気があるグレートーンは期待以上の色に仕上がっていた。

 

印刷所の社長さんが皮膜インクを混ぜたお陰で

 
理想通りに刷れたのだそうだ。

 

ベテランの写真家のS氏も

 
初めての印刷所と職人さんだったにもかかわらず

 
迷うことなく刷り上がった両面120ページを手にとって目を細めていた。

 
倉庫に漂う、職人たちの

 
その揺るぎない気持ちが

 
紙に染み込んでいるようだった。

 

 

今回の作品集は表裏で10台使用する。

 

 
通常の印刷ではあり得ない台数だ。

 

テクノロジーと伝統を超越した人間の
心意気を感じた時間だった。

 

 

印刷所の帰り、見学させてくださったお礼に

 
常駐している温泉宿の近くの小料理屋さんへS氏をお連れした。

 

 
瓶ビールで乾杯し、早春の山菜を天ぷらや

 
木の芽がのった香ばしい川魚の塩焼きをいただいた。

夕暮れの高台の眺めが

 
夜のグラデーションになってゆくのを見ていた。

 

小料理屋さんは昔、わたしの母が温泉へ来るたび

 
通っていたところだった。

 

店のおばあさんがわたしの顔を覚えていてとても喜んで下さり、

 
帰り際にお母さんによろしくねと

 
うなぎの蒲焼とおにぎりの包みを戴いた。

 

S氏も久しぶりに美味しかったと

 
表情をほころばせて東京へ戻った。

 

作品集は、印刷の質感を大切にするために

 
湿気の多い6月に発表するのだそうだ。

 

 

すべてが幻のような穏やかな時間。

 

山奥の倉庫と印刷機。

 
時間のとまった小料理屋。

 

なんということはない。

 

暇を持て余していたわたしの

 
ぎゅっと詰まった時間。

 

泊まっていた温泉宿についたのが10時過ぎくらいだった。

 

 
今日、いちにちの至福感を感じながら

 
露天風呂につかった。

 

ひとはひとして触れ合い、語り体験をすることで

 
こんなにも幸せ感を感じるのだと日々の感動に気づく。

 

 

 
ひとはなぜ生きているのだろう?

 
と空論を説いていた昔のわたしでは

 
絶対にたどり着けなかった至福だ。

 

 

その一瞬一瞬の

 

なんということはない

 
小さなひかりを感じている

 
まぼろしの時間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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“Phantom” への3件のコメント

  1. 早々にレスいただきありがとうございました。
    小生の才能はともかく(買いかぶりです)、
    写真をアウトプットするのは面白いです。
    写真集はよくわかりませんが、
    作品を展示して、それを話題に語り合う。
    写真は人と人をつなぎ、紡ぐものだと思いました。

  2. 島津さま

    いつもご丁寧なコメントありがとうございます。
    個展お疲れさまでございました。

    わたしは展示にお伺いしていませんので
    何も言える立場ではないのですが、

    ご友人のご意見を早速、自分の中で深く共鳴するところは
    島津さんの素晴らしい才能ですね。

    わたしは個人的に、写真集と写真展は別モノだと考えています。

    具体的には

    空間認識や、会場のキャパや天井の高さ、光の入りかたなど
    体感できる演出がある程度コントロールでき、
    その3次元で表現すること自体が作品展示の良さだと思っています。

    そして、「本」という個体商品だけで
    まるで環境の違う世界中の人へお届けできるという、
    手にとって眺める「作品集」

    この違いを感じます。

    ですので、島津さんがあえて小さくプリントしたのかもしれませんよね。

    同時に、非日常的なスケールを味わえるのも
    展示作品の良いところですので
    ぜひ、いろんなスタイルに挑戦して行って欲しいなと思いました。

    「嫉妬するほど美しい」プリント、きっと貴方にもできますね。

    その時を楽しみにしています。

  3. こんにちは。おひさしぶりです。
    小生の個展でのプリント写真を見てくれた友人が先日メッセージをくれました。
    、「プリントでデジタル以上に迫力をだすには、それなりに大きなものでないと、と思いました。・・・現在のスマホだと拡大してもはっきり見えるので迫力あります。特に撮影する対象が風景とか微妙なモノクロの表現の場合、ある程度以上の大きさがないとデジタル映像に負けてしまうと思います。」とメッセージをくれました。
    彼は絵画には造詣が深いのですが、「写真はまだよくわからない」という人です。
    小さめの写真が多かったことに対する意見かと思ったので、小生はそういう見方も間違ていないと応え、そして「ただ、デジタル画像が真似できないのはあの紙の質感。・・・プリントした紙のでこぼこやきらきらに対象かマッチすれば、それはブリントサイズであってもジーンとくるものがあるはずだと、思うのだけね。」とつけ加えました。
    「嫉妬するほど美しい」といわれるプリント写真をみれば、きっと解像度や大きさと同等、いやそれ以上に質感が大切であることを納得してもらえるでしょうね。

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