raison d’être
出版事業, 日々の泡, 随想

raison d’être

 

 

 

 

 

 

いつ頃からかわたしのテーマとなっていた

「存在理由」や「存在意義」を意味する言葉

raison d’être レゾンデートル。

 

このことを哲学者サルトルは

「人間は自由の刑に処せられている」と残していた。

 

 

わたしがサルトルの言葉を知ったのは

写真に触れはじめたばかりだった十代だった頃だった。

 

「自由の刑?」

放課後の屋上でコカコーラを飲みながら

自分自身のレゾンデートルを考えてみても

まるで現実感がなく途方に暮れ
 
《存在》という目に見えない、けれど

いつでも手応えのある不思議な感触をひたすら感じようとしていた。

 

 

身体が弱かったわたしは、幼い頃

学校で「また明日ね」と別れると嬉しかった。
 
 
明日、ちゃんとこうして教室に来て

みんなと逢えるかどうかさえ不安だったくらい

肉体と気分の分裂感が激しく

ずっと同じ日々を繰り返すことが信じられなかったのだ。

 

 

春を何度か経験し、明日はもう

今日の続きではないことを理解しなくてはならなくなると

やがて自己存在の不安は少しづつ消滅していった。
 

 
先日、借りていたレコードを返しに古くから通っているジャズ喫茶に顔を出した。

 

帰り際、「そういえば棚の奥にこんなのがあったよ」と

マスターから紙のケースに入った数本のネガフィルムを受け取った。

 

フィルムを取り出し、お店の窓際で光にかざしてみると

昔住んでいた部屋でまどろんでいる当時のわたしが写っていた。
 

写真家を目指していた彼と同棲ごっこをして

ときどきモデルをしていた頃だった。
 

どうやらふたりは小さな部屋で

刷り上がったばかりのプリントをチェックしているようだ。

 

西陽が強くさす部屋壁は蜂蜜色に輝き、

花瓶代わりの水いれに白いヤマユリが差してある。

 

 

カラーフィルムで切り撮られたアパートの窓から色あせた満開の桜の木が見える。

 

のどかな春の逆光は淡い粒子となって若いふたりの前を浮遊し
 
古めいた壁の隙間に舞い上がるちりとなって一枚に集約されていた。
 
 
フィルムの中でわたしは、プリントに目を落としながら

笑ったり眉をひそめたりして

落ち着かない表情で若い春に身をまかせている。

 

それら同じように写っている中に

一枚だけ手ブレして大きく左に傾いた写真があった。

 

 

気になってネガを伸ばしてみると、

西陽の当たる部屋でプリントを眺めているのは彼で

わたしは写っていない。

 

この一枚はわたしがシャッターを押したのだ。

 

おそらく彼を初めて撮った写真だろうと思った。

 
 
カメラ自体、ちゃんと触ったことなどなかった。

 

 

マスターから受け取った紙袋には年数と月が青いペンで書かれていた。

 

彼は25歳、わたしは18歳の春だった。

 

 

この時、誰にも見てもらえずにずっと眠っていたフィルムたちの

存在理由はなんだろうと思った。

 

写真は、記録を確認してもらうことで再び息を吹き返す。

 
木漏れ日と希望に満ちた18歳の春を、懐かしいという感情以上に

その時味わった全ての存在へ深い愛おしさを覚えた。

 

 

放課後に何度も考えたサルトル語った自由の刑とは

わたしたちの生きた軌跡を残し続けることなのかもしれない。

 

今、この一瞬をもがき、悲しみ、それゆえに生まれる悦びと

永い退屈という時間のなかで

万物の記憶の断片が集合しては瞬く間に散ってゆくその姿そのものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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