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Sadistic Studio Story1▶︎

 

 

社会は理不尽に満ちていて嘘ばかりだった。

 

 

専門知識もなく、技術が飛びぬけているわけでもないのに

スタジオを持ってこの業界で働くということは、

まずは弱者として生き抜かなくてはならない。

 

 

わたしはアシスタント時代に舞い戻ったような

ギリギリの生活レベルを続けながら

とにかく堂々とこの世界で生きている自分になろうとしていた。

 

 

すぐにキャッシュになるようなウェディングや雑誌の取材といった

わたし以外の誰でもいい仕事は一切しなかった。

 

 

どこかに務めたり、委託を持つことなく

インディペンデントでやってゆかなければ意味がない。

 

 

生き抜くということは覚悟を持つことだとなんども自分に言い聞かせた。

 

 

バイトはアシスタント時代のボスに相談して小さな仕事を回してもらい、

同時に抽象風景という日本では全くウケの良くない作品創りに集中した。

 

 

その頃のバイトはボスのアトリエへ毎日のように訪れる面談希望者の

事務処理だった。

どこにでもできて、いつでも可能なように

電話とメールでのやりとりのバイトをボスが与えてくれた。

 

 

アポの確認をすると、彼らは明らかにわたしや

わたしの周りの人よりもずっと優秀なフォトグラファー達だった。

 

 

特に海外帰りのプロ達が、ボスの元で働きたいと大勢申し出ていた。

 

対応をどうすればいいのか? わたしがボスへ尋ねると

 

「カッコイイところに行きたいだけの敗残者はいらないよね」

 

いつもは穏やかなボスの口から厳しい言葉が返ってくる。

 

 

そんな冷静な声を聞くたびに、彼もまた、胸の奥に言葉にならない焦ら立ちを

隠し持っているような気がしてならなかった。

 

 

カッコイイ自分になりたくて海外へ行ったけれど

行き残り戦略に追いつけず虚しく帰国してくるという人々に対して、

 

写真界だけではなく、ビジネス全体も否定的なことは手にとるようにわかった。

 

 

面接希望の彼らは、一様に自信家ではあったが利己的すぎるところがあった。

個人主義に走りすぎて、自分のスタイルを客観視できないタイプの人物が多かった。

 

 

この時、いくら優秀でも能力があっても、海外経験が豊富でも

それ自体をアイディンティとして伸ばしていかない限り

生きる道が閉ざされるのだと実感した。

 

 

 

わたしは、帰り道に通るスーパーの前で、

太ったブチの野良猫が、片目の野良猫に飛びかかり

首元へ牙を突き刺しているのを見かけたことがあった。

 

片目の猫は複数で路地裏に生息しているようだった。

 

身体の小さなその兄弟たちは

仲間が噛みつかれた姿に恐れおののいて逃げ出し、

 

大きなブチ猫は路面に残された生ゴミの

僅かな餌を独占して食い散らしていた。

 

 

片目の猫は兄弟たちが狭い路地に逃げてゆくのを確認してから

敗北を認めてその場を立ち去っていった。

 

 

その光景は、わたしの感じていた写真界の実情そのものだった。

 

栄養をたっぷり摂った大きな野良猫しか生き抜けない現実が

悲しいくらい露骨に、目の前に転がっている。

 

 

男も女も、技術者も新入りも古株も関係なく、

生き延びることだけに貪欲な者だけしか

好きなように生きることは許されない。

 

 

悔しくても辛くとも、いつかいいことがあるだろうと夢を見続けるも、

他人の世界で奴隷のように働いた結果、なにもない、

そんな惨めさを強いられる可能性が潜んでいる。

 

路地で立ち止まったまま夜空を見上げると

わたしの頭上には星のない、どんよりとした重たい空気だけが漂っていた。

 

猫の目のような細い月だけが切り傷のように闇を引っ掻いている。

 

夜空は、いまあるすべての縮図のように

黒々とした闇を忍ばせてわたしの足元に広がっているようだった。

 

 

 

わたしは闇に飲み込まれないように注意しながら

黙々とスタジオで撮影をした。

 

作例を載せたHPやブログを見つけたという方から

少しずつ仕事の依頼が来るようになった。

 

ほとんどが商品撮りだったが、

ときどき、わたしには出来そうもないことも要求されて返答に困った。

 

そんな時、出来ますかと聞かれたら

得意です、と堂々と応えるのがプロだとボスから教わり、その通りにした。

 

 

 

余裕でできることばかりやっていては成長はない、

土臭いこともできない奴はすぐに淘汰される、

と繰り返し言われ続けてきた。

 

何よりも他人は、そういった見えない仕事を無意識に察知して人選している、

とも言われ続けてきたおかげで、

わたしは意識だけは高く保つことが出来きるようになっていた。

 

 

その頃、友人と借りていたスタジオは作品撮りか練習に使うくらいで

本格的に仕事で使用するのは月に数えるほどしかかなった。

 

だから仕事が入るとそれだけでわくわくした。

 

 

当時、デジタル用ストロボはセットで100万円ほどした。

 

スタジオを維持するためにはこれくらいは必要経費だと想定し

友人と2分割するつもりだった。

けれど、友人はいつまで経っても半額分をわたしに振り込むことはなかった。

 

 

わたしは、未熟なりにあれこれと試行錯誤をして

初めてのブツ撮りを行うことになった。

 

その度にごとに合わせたバック紙の購入と、

先輩や知り合いたちにアシスタントとして入ってもらうバイト代と

終わった後の焼肉とアルコールで、ギャランティはあっけなく消えた。

 

 

難しいライティングは先輩に手伝ってもらいながらなんとかクリアしていた。

自信はどこにもなかったが、わたしは、わたしが好きな写真を撮り続けた。

 

ある日、納品を終えたクライアントから、

自社パンフレットに全枠、わたしの写真を使いたいと連絡が来ていた。

 

後日、印刷された豪華なパンフレットを手にした時、

わたしはスタジオの角の小さな椅子に座ってページをめくった。

ポロポロと嬉し涙がこぼれた。

 

 

ライティング技術はどう覚えるのか?

どうやったらもっと上手くなるのか?

ボスや先輩に聞いてみるとほとんどの場合、

目で覚えるとか見て盗むといった答えが返ってきた。

 

映画を見ろ、大河ドラマのセットを見よ

さもなければ街にあるポスターを凝視してライトの数と

写っているタレントの目をじっと見て

どんな形状のライトなのか調べてみろ。

 

わたしは素直にポスターを探しては

そのポスターの前で何十分もウロウロしながら

瞳に写ったライティングを研究したり、

肌のトーンや黒の締まりといった色出しやツヤ感を頭に入れていった。

 

はたから見たら完全にイカレた人か、強烈なオタクに見えただろう。

 

本屋さんで売れている雑誌を手に取り、

光の具合やトーンを脳裏に叩き込んだり

その場でメモをとって忘れないようにした。

 

ミュージシャンのジャケットの仕事が入った時には

寝る時間を惜しんでさまざまなビデオクリップや

昔の映像を見てライティングの位置と発行量を推測した。

 

実際には正解かどうかなどわからない。

 

機材がわかることもあったし、ストロボが光る瞬間がビデオで流れると

停止してコマ送りにしてなんどもチェックして

バリエーションを頭に入れ、気になったら実践するしかない。

 

海外モノの、言葉が理解できないようなビデオや本も漁るようにして見入った。

 

 

気がつくと、友人の姿を見ない日の方が多くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Model:mitsuki

 

 

 

続・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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